更新日:2016年09月05日

Japan Vision Vol.27|地域の未来を支える人 広島県広島市
株式会社マルニ木工 代表取締役社長
山中 武さん

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1928年の創業以来、「工芸の工業化」をモットーに、世界の定番を目指して木工家具をつくり続けている、株式会社マルニ木工 代表取締役社長:山中 武さんのメッセージをご紹介します。世界を代表するプロダクトデザイナーによる洗練されたデザインと、「木」を知り尽くした職人たちの高い技術、そして日本人特有のモノづくりに対する姿勢と美意識が、マルニ木工の品質を支えていると山中さんは言います。実際にご案内いただいた製造現場ではまさにその言葉通り、どの工程にも徹底した品質管理と、職人さんたちの並々ならぬこだわりを感じることができ、それを裏付けるかの様に、これまでに数々のヒット商品を世に送り出し、世界中から高い評価を受けています。
そんなマルニ木工の代表である山中武さん。お会いする前は、現場経験が長く、職人気質な人柄を想像していましたが、その予想は根底から覆されました。創業家に生まれながら、家業である「木工家具づくり」の道を歩まず、大学卒業後に入社された会社は都内の大手銀行。「いつか帰らなければ」と思いながら避けていた山中さんがマルニ木工に入社したきっかけは、バブル崩壊による不況がきっかけだったそうです。インタビューでは驚きの連続でしたが、そこにはすべてのことに対してオープンで、真摯に向き合う山中さんの姿勢と、経営者としての思慮深さが存在していました。 そんな匠からのメッセージをぜひご一読ください。

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バブル経済の崩壊での転身。

私の父親が三代目社長として経営していたマルニ木工に、私が興味を持ったのは、社会人として既に10年以上が経過していた35歳くらいの時のことです。小学校から高校までは、地元広島で過ごしましたが、大学進学を機に広島を離れ、就職先も東京の銀行を選びました。創業家に生まれながら、なぜそんな状況になったのかと言うと、小さいころから家具を作っている現場を見せてもらったことがなかったことと、中学2年生ごろから父親とまったく考え方が合わず、以来39歳になるまで、とても長い「反抗期」が続いてしまったことが原因です。
「いつかはマルニ木工に入社する時が来るのかな?」と、ぼんやり考えていたものの、私にとって銀行の仕事はとても楽しく、また父親に対する苦手意識も手伝って、家業を継ぐ気持ちは心の中にしまい込んでいました。
そんな状況も90年代初頭に起きたバブル経済の崩壊で一転します。私自身、銀行員だったため、実体験として痛感していますが、ほとんどの融資先企業で業績が悪化し、銀行も「借りて!借りて!」の状況から、一気に「返せ!返せ!」と態度を変えました。マルニ木工も例外なく、徐々に厳しい経営状況へと追い込まれていったことから、30歳の時に銀行を辞め、マルニ木工に入社。私が最初に手掛けたのは「財務リストラ」です。自分が銀行員だった時に融資先に要求していたことと同じことを、今度は銀行から要求される立場となり、その時に初めて企業と銀行との取引というものの本質を理解した気がしました。ただ、銀行時代に培った経験と人間関係が、マルニ木工のピンチを救ってくれたことも事実です。その当時に立てた経営目標は、「〇年以内に無借金」とか「〇年以内に黒字化」など、いま考えると本当に夢の無い目標ばかりを立てていたことを、社員には申し訳なく思っていますが、家業とまったく異なる道に進んだことで、家業に貢献することが出来たことは、私にとってとても嬉しい経験でした。
厳しい経営環境にありながらも、マルニ木工の社員達はとても眩しかったことを覚えています。純粋に「木が好き」「木工家具づくりが好き」というみんなの純粋な想いに毎日触れているうち、気が付いたら私も工場を歩き、木工家具づくりを見ることが大好きになっていました。会社が変わらないと、将来間違いなくつぶれてしまうという状況の中で、数値で示す経営計画と共に、「こんな家具をつくろうぜ!」という目標を持つことの重要性に気づくことができ、職人さん達と相談しながら、一つ一つ改革を進めていきました。

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マルニ木工の強みを活かすために、プロダクトデザインを変えることにしました。

マルニ木工の強みは、細部までしっかりこだわった高品質な家具を、手の届く価格でご提供できることです。その強みをさらに活かすために、上流となるプロダクトデザインを変えることにしました。デザインをカタチにする技術がマルニにはある。デザインが変わればモノづくりが変わる。工場も変わり、お客さまも変わる。そう考え、様々なデザイナーさんや建築家の方々に、「日本の美意識へのメッセージとしての椅子」のデザインを一脚ずつお願いすることにしました。斬新なデザインを実現するための技術に思考を重ね、ついに完成!満を持して発表したところ、それまで紹介されたことが無いような有名誌がこぞって取り上げてくれ、大きな話題となりました。
「これは爆発的に売れる!」と誰もが期待を寄せましたが、ところがまったく売れません。「デザインが素晴らしいのに、なぜ売れなかったのか?」それは、「デザイナーの言う通り」に作ってしまったからです。脚や背が極端に細い等、ところどころ構造上の無理があり、強度を持たせるためにはもの凄い手間のかかる加工が必要でした。その分コストも高くなります。結果として「かっこいい!」と思っていただけても、椅子としての機能が心配なうえ、価格も高いから売れない。まったくもって単純な理由でした。それは高い授業料となりましたが、非常に意味のある失敗だったと振り返っています。

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無意識に「心地よい」と感じていただける椅子を目指して。

その経験から、「デザインがどんなに素晴らしくても、座り心地や強度がなければ、椅子として評価されることは絶対にない!」と断言する、プロダクトデザイナーの深澤 直人(ふかさわ なおと)さんと知り合い、「座り心地」「強度」「デザイン」、そして「買いやすい価格」を両立させる椅子づくりに着手しました。試作品に何度も座りながら感触を確かめる。求められたデザインを良い意味で妥協しながら、座り心地と強度を確保し、作業コストも意識した製造工程を組んでいく。座っていても無意識に「心地よい」と感じていただける椅子を目指して、そのアプローチを続けました。現在、大変ご好評をいただいている「HIROSHIMA(ヒロシマ)」や「Roundish(ラウンディッシュ)」「Lightwood(ライトウッド)」なども、このようにして生まれたコレクションです。

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バブルが弾けてピンチになった時に、「モノづくり」以外の道はないことに気づきました。

「マルニ木工」は一時期、「株式会社マルニ」になったことがあります。それは、家具作りをしながら、家具の総合商社になろう!という考えからでした。家具の輸入・販売はバブル期の消費者の嗜好とマッチして、売り上げも利益も倍増しましたが、バブルが弾けてピンチになった時に、「モノづくり」以外の道はないことに気づきました。そう思わせてくれたのは、純粋な気持ちでモノづくりを愛していた職人さん達と、古くからマルニの製品を愛用してくださっているお客さまです。マルニではご購入いただいた家具を、永く使い続けていただくために、「家具のリフォーム」をしていますが、30年以上も前にご購入いただいた椅子やソファの修理をご依頼いただくことが多くあります。中には資料にも残っていない80年も前の家具が戻ってきたことや、同じ家具で2回、3回と修理をご依頼いただいたこともありました。どのお客さまも、長年寄り添った家具だから、ずっと使い続けたいという想いとともに「木部の再塗装はしないで欲しい」と、家具に刻まれた想い出までも大切にしてくださっているのです。
リフォームは、新しい製品をつくるよりも多くの時間と手間が掛かりますが、ご依頼をいただくたびに職人たちは感激し、心を込めてリフォームをしています。お客さまと職人との最高の関係であり、私たちの大切な財産です。

今後バイオテクノロジーが進歩して、成木のため必要な100年の期間が、わずか数年に短縮するような状況や、それとは逆に環境問題から、「木が切れない/木を使えない」という事態が訪れるかも知れません。どんな状況においても、純粋に「モノづくりが好き」という気持ちと、常に新しい価値を生み出す挑戦者としての姿勢を大切に、今後も永くモノづくりを続けていきます。

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