更新日:2017年07月14日

Japan Vision Vol.69|地域の未来を支える人 東京都港区赤坂
天茂 二代目
高畑 粧由里さん

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東京港区赤坂で昭和39年の創業以来、53年にわたり、多くの天ぷらファンの舌をうならせている「天茂」二代目、高畑粧由里(たかばたけ さゆり)さんのメッセージをご紹介します。
「天茂」は、銀座の老舗「天一」で修業を積んだ粧由里さんの父・倉重富夫(くらしげとみお)さんが創業しました。粧由里さんはもともと、中高一貫校の教師として英語を教えていましたが、30歳の時に富夫さんが病気になり、夜は助手として「天茂」の揚げ場に立ち始めることになりました。

創業した当時は、女性の職人はほとんどいなかった時代。富夫さんご自身、お店は一代で閉める決意で始められたそうですが、病気になっても時間を惜しむように天ぷらを揚げる父の背中を見て、そんな父の天ぷらを愛してくれるお客さまからの温かい言葉を受けて、粧由里さんは「天茂」を継ぐ決意をします。そして富夫さんの厳しい指導のもとに本格的な修行をはじめ、33歳で二代目に就任されました。

創業以来の父の味と技を受け継ぎ、多くのお客さまに変わらぬ美味しさを届けている匠のメッセージを、皆さまもぜひご覧ください。

■高畑 粧由里さんのメッセージ
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30歳まで続けていた「教師」の仕事を辞めて、まったく違う畑で、また女性が相容れないイメージのあった父の仕事を継ぐのには、相応の覚悟が必要でした。そんな中、父の跡を継ぐ決意を後押ししてくれたことは、大きく二つあります。
一つ目は、父の助手として揚げ場に立てたことでお客さまとお話をする機会に恵まれたことです。父の病気の事を知っていた常連のお客さまから、「この素敵なお店を閉めてしまうのは、もったいない。」「あなたならやればできるよ。」と、前向きなお言葉をいただけたことです。「やめた方がいいんじゃないか?」とか、「難しいと思うよ。」など、否定的な言葉は一切なく、とてもポジティブな気持ちにさせてくれました。

そして二つ目は、その時にテレビの取材が入ったことです。「夫婦でやっているお店」という特集で取材を申し込まれたのですが、天茂を見た番組のディレクターさんが、「“家族でやっているお店”というコンセプトに変更してでも取材をしたい!」とおっしゃって、お受けすることになりました。実際に放映された画面を見て、メディアで紹介していただいたからには、これはもう続けないと!と決意が固まりました。
それ以外にも、病気で体調を崩した父が時間を惜しむかのように、楽しそうに天ぷらを揚げている姿を見ていたこと、また、天ぷらを揚げる父と接客をする母の間に私がいることで、お店の雰囲気にもプラスになれたのでは?という気持ちにさせてくれたことも大きかったです。

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天ぷら職人としての修業。

その当時の料理人の修行、とりわけ和食の世界には、「目で見て盗む/体で覚える」といったような厳しいしきたりというか、ルールのようなものがありましたが、体調を崩した父は、自分に残された時間が少ないことを認識していたせいか、実際に経験させないとわからないことや気付かないこと、明確に言葉として伝えないと想像できないようなことを、本当に丁寧に教えてくれました。
銀座の老舗店で、「目で見て盗む/体で覚える」という修行を経験してきた父が、限られた時間の中で、精一杯のことを私に伝えようと本気になってくれている気持ちが伝わり、私も懸命に覚えようと努力しました。父から直接指導してもらえた2年半は、私にとってものすごく貴重でかけがえのない時間でした。

父から教えてもらった2年半、そしてその時のことを懸命に再現しようと自分なりにもがいて、3年くらい経った時に、おぼろげながらではありますが、「これが『父の天ぷら』かな」と、感覚がつかめてきた気がしました。そこからさらに3年間くらい、その感覚を自分のものとして取り込むために無我夢中で取り組みました。
もちろん、一番の評価者はお客さまです。常連のお客さまには、「父の天ぷら」がベースにあるため、「これは駄目!」「これは違う!」と、愛情を込めて遠慮なさらずにはっきりとご意見をいただきました。そして10年くらい経ったころ、ようやくそういった厳しいお言葉をいただくことがなくなり、そのお客さまが今でも来てくださっているので、「合格点をもらえたのかな?」と思っています。お客さまにはそんなこと怖くて聞けないですが。(笑)

天ぷらは、他のお料理と違って「味見」が出来ません。
父からよく言われたのは、
「お客さまがかじった天ぷらの、断面を見ろ!」
です。

そして父が言う理想の天ぷらの揚げ方は、
「海老の中心にマッチ棒一本分だけ、生の部分を残す揚げ方」
でした。

それが、
「お客さまの口に入るまでに余熱で火が通り、
心地よい弾力と、甘みが口いっぱいに広がる揚げ方」
なのだ!と。

この理想の揚げ方を頭にイメージして、毎日揚げています。油の中に1本の海老だけを入れて揚げるなら、3年くらいで何とか自信を持てますが、一度に8本も10本も入れて、その全てを“理想の状態”でお客さまにお出しするのは、まさに至難の業です。しかも才巻海老は基本、細いんです。太く大きな海老であれば、揚がるまでに相応の時間を要するため、ある程度のコントロールはできても、細い海老は短い時間に集中して、海老の状態を見極めなければなりません。これも何千本と経験を積んで、初めて自分の中に手繰り寄せられる感覚だと思います。

完全に「納得できる揚げ方」と聞かれると、それには一生かかると思います。毎日入ってくるネタの状態も違いますし、気候によって油の状態だって微妙に変わります。毎日何百本も天ぷらを揚げている中で、これは「良い!」という感覚はあっても、「納得」という感覚はありません。おそらく引退してから、「あの時のあの天ぷらが良かったな」と振り返るものだと思います。現役でやっている今は「納得」をしてはいけない。職人はやはりそうでないといけないと思います。

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先代から伝わる「天茂」の味とお店の創り。

天丼に使う「天つゆ」は、創業以来の「つぎ足し」のものを使っています。それと油は「ごま油」と「綿実(めんじつ)油」を独自の調合で、季節に合わせてブレンドしています。天ぷら粉も父が選んでくれたとても良質のものです。天ぷらに使うネタも、父の代から受け継いだ築地市場の仲卸業者から仕入れます。ネタの種類は昔ながらの江戸前のネタと、季節の野菜といったシンプルなもの。父といっしょに市場に行き、仲卸業者との色んなお話を聞かせていただいて、なぜそのネタが選ばれているのか、その理由を理解しています。私たちと同様、仲卸業者も代替わりをしているので、近い世代の人たちが同じように父親の世代がしてきた仕事を受け継いでいるのは、とても頼もしいことです。

40年前に創られたこのお店の創りにも、父と大工の特別なこだわりが込められています。その大工は、父の知り合いの宮大工の修行をされた方で、その心得が随所に生きています。葦(あし)と角竹を張り巡らせた天井は、カウンターを中心に「八方に広がる」と縁起を担いだ創りになっていますし、そこに茶道の心得も入っています。揚げ場の天井に使用している素材と、お客さまの天井に使用している素材が違うのです。それはお茶をたてる側=天ぷらを揚げる側と、お客さま(食べる側)では立場・格が違う!と言う考えが生きています。お店の壁も歴史とともになんとも言えない風合いを魅せてくれる漆喰(しっくい)です。
そしてお客さまが座るカウンターとテーブルに使用されている木は、父と大工が直接選び抜いた、節目がまったくない一本木です。父から受け継がれた一生の宝物です。このように、すべてにおいて父の代から受け継いだものを大切にしていますし、これからも変わらない美味しさを、お客さまに届けたいと思います。

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女性店主・天ぷら職人として。

「女性店主だから、女性店主ならではの」といったことを無理に意識して、変化を付けるのではなく、父の時代から変わらないものを、そのまま召し上がっていただくことを心掛けています。江戸前の魚と季節の野菜を使った天ぷらコースは、日本の四季を味わうことができますし、栄養のバランスもよく、女性にも十分お楽しみいただけると考えているからです。
「天ぷらコース」というものに対して抵抗感を持たれる方もいらっしゃるのですが、実際に食べていただくと、良い意味で「天ぷららしくない」と仰ってくださり、天ぷらに対して、ヘルシーなイメージもお持ちいただけます。
唯一父の時代と変えていることは、お客さまとのコミュニケーションかもしれません。生粋の職人気質だった父が出来ないような、お客さまとのコミュニケーションは母がフォローしていましたが、私もお店に対して敷居を感じずに、多くのお客さまに気軽にいらしていただきたいと考えていますし、お客さまとのコミュニケーションの中で、その気持ちを前面に出すように心掛けています。これには、教師として教壇に立っていた時の経験が生きているのではないでしょうか。

もともとまったく考えていなかった料理の道ですが、
この世界に入るきっかけをつくってくれた父、
そして支えてくださったお客さまに本当に感謝しています。

私なりに良かったと思うのは、素晴らしいものを間近で見られる環境があり、
「自分の理想とするものがイメージできた」こと、それと
「頭で多くのことを考えずに、とにかく必死にやってみた!」ことです。
料理だけでなく、色んな仕事をしていくうえで大切なことではないかと考えています。

これからも感謝の気持ちを忘れずに、父の味を追求して行きます。

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