更新日:2017年12月18日

Japan Vision Vol.89|地域の未来を支える人 石川県金沢市大手町
株式会社森八
取締役女将 中宮 紀伊子さん

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1625年(寛永2年)の創業以来、大藩加賀の歴史とともに390年余、菓子づくり一筋に歩み続けてきた『森八』の十八代目女将:中宮 紀伊子(なかみや きいこ)さんのメッセージをご紹介します。
『森八』さんは地元金沢市はもちろん、全国の和菓子ファンから絶大な支持を集める県内随一の老舗ブランドです。日本三大名菓の一つに数えられる「長生殿」、“紅きは旭日の瑞相(ずいそう)を表わし、白きは鶴の毛衣を像る(かたどる)”と賞される餡餅「千歳」、職人の手仕事で完成までに三昼夜を要する極上の「黒羊羹 玄」といった伝統銘菓のほか、四季折々の味覚と風雅な意匠を凝らした「上生菓子」や「御干菓子(おひがし)」で、来る人の五感を常に楽しませてくれます。

そんな『森八』さんですが、これまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。江戸・明治・大正・昭和という激しい時代の流れ、そして第二次世界大戦の勃発により休業を余儀なくされ、当主の戦死という状況に遭いながらも、先代たちは必死に暖簾(のれん)を守り抜きました。
そしてバブル崩壊後の1995年、390年余の歴史の中で「最大の存続危機」に直面します。その危機に立ち向かい乗り越えてきたのが、中宮さんの夫で十八代目当主:中宮 嘉裕(なかみや よしひろ)さんと、中宮紀伊子さんご本人だったのです。「奇跡」とも言われた森八さんの再建エピソードはNHKのドキュメンタリー番組として全国に放送され、大きな反響を呼びましたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
中宮さんのメッセージには、「老舗ブランドが持つ本当の価値、そして企業の生命力の本質が語られている。」そんな印象を受けました。会社を経営されている方、社員として活躍されている方、それぞれの立場で中宮さんのメッセージをぜひご一読ください。

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人生のパートナーとの出会い

私の生まれは岩手県の一関市です。小学校に入学して間もなく、鉄道員だった父が突然退職して東京で仕事をすることになり、それ以降は東京の下町で過ごしました。静かな環境から生活環境が一変したことに加えて、何よりも「標準語」を覚えるのに苦労したことをよく覚えています。一関市出身の父と大船渡(おおふなと)市出身の母に育てられ、“生粋の東北弁”が染みついていた私には、「標準語」とはまるで、外国語のような感覚でした。(笑)


東京の学校を卒業して会社員になり、会社の仲間と一緒に参加した一般公募のビジネスセミナーで主人と知り合いました。勤めていた会社の上司が奨めてくれたそのセミナーは5日間ほどの合宿形式で行う、とても濃い内容のものでした。テーマ毎にディスカッションからプレゼンテーションまで、6人のチーム単位で行うのですが、自分がどのチームになるか、誰がリーダーになるのかも全てくじ引きで決まります。色んな人の価値観に出会い、それがチームの個性となり、とても面白かったです。主人とグループが一緒になることがありましたが、私と考えがまったく異なっていて、バチバチと激論していたことしか覚えていません。(笑)
その時の主人に対する印象は、「共感」とか「尊敬」などというものではなく、「喧嘩友達」のような感覚でした。主人は私に対して「ここまではっきりとものを言う女性はなかなかいない。男性に対しても全く遠慮しないで立ち向かう女性がいるなんて!」と驚いていたそうですが、ある意味新鮮な感覚を覚えたと、後で聞かせてくれました。創業300年を超える老舗企業の跡取りとして育った主人いわく、金沢の女性は物静かというか、おしとやかというか、男性に対してはあまり物を申さない、ある種のたしなみのようなものがあったそうです。グループディスカッションでの主人の言葉の端々に、そんな価値観が感じられたことで、「女性もイキイキと活躍するべき」と真逆の考えを持っていた私は、ついついぶつかってしまったのだと思います。

主人のプロポーズの言葉は、「人生のパートナーとして一緒に歩んでほしい。」でした。私は「パートナー」という言葉にとても夢を感じました。「主人の陰で家業を支える妻」としてではなく、「森八」という老舗ブランドを一緒に支えていく“パートナー”として私を見てくれていることが伝わってきて、森八に嫁ぐ決意をしました。
周囲からは「あなたに老舗の女将なんてぜったい無理!」と猛反対されましたし、主人の家族も反対意見が多数だったようです。それでも主人は家族の反対を私にいっさい感じさせることなく、全て自分で解決してくれていました。そして嫁いでからもプロポーズの言葉通り、いつも私の気持ちや考えを大切にしてくれています。

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突然やってきた“森八存続の危機”

森八に嫁いで数年が経過した1995年のある日のこと。銀行の支店長がいきなり社長室に怒鳴り込んできて「何をしているんですか!?不渡りが起こります!」と言い放ったのです。主人と私はまさに寝耳に水。「そんなはずはない。」という主人に対して、支店長は「紛れもない事実です。」と言いました。何が起こっているのか把握できないまま、その日の売上、預貯金、自宅にある現金もすべてかき集めてなんとか不渡りを防ぎ、詳しく調べてみると、主人がまったく把握していない手形や借入金がどっさりと出てきたのです。負債総額は当時の年商のおよそ2倍以上にも相当する金額でした。
なぜそこまでの状況になるまで気が付かなかったかというと、主人は義父が突然病に倒れたことで、若くして社長に就任し、社長としての実質的な裁量はほとんどないままに経営をしていたためです。古くからいる幹部たちは「中のことは我々がやる!」と主人を対外的な仕事にばかり向かわせ、都合の悪いことは伝えず、経営状態もかえりみずに、自分たち都合の自転車操業を繰り返していた事実が次々と発覚しました。
主人が本当の意味で社長としての裁量権を持ったのは、多額の負債が発覚し、和議を申請するわずか1週間前のことです。返済など到底不可能と思える、とてつもない額の負債を目の前にして、会計士・税理士・弁護士は一様に主人に「破産宣告」を勧めました。「破産」か「和議申請」か、取るべき道は一つです。主人が社長として出す初めての決断は、どちらもいばらの道。しかも考える時間も限られています。
夜二人になって、主人に素直な気持ちを訪ねると、「暖簾を守り抜く!和議を申請して、必ず再建させてみせる!」と私に力強く決意を語ってくれました。その言葉で私も覚悟を決めて、期限10年間の和議を申請し、負債の返済と森八再建の道に乗り出すことになったのです。私が「取締役女将」になったのは、その時でした。

経営状態をかえりみずの賃上げやボーナス支給、節約意識・コスト意識の欠如が負債の直接的な要因となっていたことは間違いありませんが、最大の原因は、『殿様商売』の体質です。職人たちの仕事に取り組む姿勢は、「作らせていただく」ではなく「作ってやる!」。一事が万事で、お客さまへの態度、言葉遣い、日々の行動すべてにその姿勢が表れてしまっていました。
会社が再建に乗り出し、私が初めて現場に入り、その様子を目の当たりにした時、企業として最も大切にしなければならない、「創業時の想い」「仕事への誇り」「お客さまへの謙虚な気持ち」といったものが、長い歴史の中で軽視され、まったく違う会社に変わってしまったのだと実感しました。
そんな状況もあり、多額の負債が発覚してしばらくの間、私には古参の社員達が「敵」としか思えない時がありました。尊敬するお取引先の方が、「社員の皆さまは、ともに再建を目指す同志ですよ。」とアドバイスをしてくださいましたが、とてもそんな気持ちにはなれませんでした。それでも「ともに再建を目指す同志」という言葉が深く印象に残り、冷静になって考え直してみると、お互いに「同志」と思えなければ一緒に仕事をするなんて、ましてや再建なんて実現できるはずがない事に気付きました。単純な事なのに、その想いに至るまでに時間が必要だったのです。
やがて、「責任はすべて私たち経営者にある。これまで頑張ってくれた社員たちに本当に申し訳ないことをした。」と本気で思えるようになり、そこから少しずつ会社が良い方向へと変わっていった気がします。その時から、社員のお給料はすべて「現金手渡し」にして、今でもずっと続けています。

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計画より2年間前倒しで、2004年に負債を完済。

再建を始めて、心から「ありがたい」と感じたものは“お菓子”と“お客さま”です。
お金という資産がすべて無くなってしまっても、会社として未熟なところがたくさんあっても、私たちには美味しい「お菓子」がありました。そして、そのお菓子を長年愛してくださり、思い出にも感じてくださっているお客さまがたくさんいらっしゃいました。「お菓子」と「お客さま」が最後の最後に私たちに再建の機会と希望を与えてくれたのです。お客さまが「また食べたい!」と思うようなお菓子を作り、「また来たい!」と思うようなおもてなしができれば、必ず再建できると確信しました。

「お菓子が美味しい。」「店員さんの対応が感じ良い。」「お店の居心地が良い。」
お客さまが森八を評価する要素がたくさんある中で、徹底したことはいたって単純です。職人には「あなたのご両親、奥さま、お子さま、大切な方に、あなたが作ったお菓子を自信もって奨めることができますか?」と問い、お客さまの対応をするメンバーには「いま、あなたがお客さまにしたことを、あなたがされたら満足できますか?このお店にまた来たいと思いますか?」と、現場での一瞬一瞬を見逃さずに、とにかく問い続けてきました。たくさんのことを改善してきた中で、森八再建の一番の鍵は、この「意識改革」にあったと思います。

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森八のお菓子は“ただのお菓子”であってはならない。

お菓子作りを生業としている以上、素材と製法に徹底的にこだわるのは当たり前のこと。お客さまに心から「美味しい!」と感じていただき、笑顔になり、大切な思い出のそばに存在できるようなお菓子でありたいと思っています。自分たちが作るお菓子を心から好きになって、自信をもってお客さまに召し上がっていただくために、森八では職人を含めたすべての社員が、販売員としての経験を積みます。パティシエの勉強を積み、森八のお菓子職人として6年前から修業に入っている娘も同様です。

400年近い歴史を持つ森八でも、その姿勢を忘れてしまった時があったからこそ、強く思います。マニュアルだけではできない、親が子どもに対して持つような本能的な愛情が必要なのです。

森八で働くすべての社員が、この仕事を通じて、
幸せな人生を歩んで欲しいと、心から願っています。

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