更新日:2018年01月15日

Japan Vision Vol.92|地域の未来を支える人 富山県富山市
青山総本舗 代表取締役
青山 益広さん

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創業から70年近くにわたり、富山県を代表する郷土料理「鱒の寿し」作りを続けている、青山総本舗 代表取締役:青山 益広(あおやま やすひろ)さんのメッセージをご紹介します。
「鱒の寿し」は富山市内を流れ、富山湾へと注ぐ神通川(じんつうがわ)を中心に発展した食文化です。享保2年(1717年)に藩士:吉村新八が、神通川で獲れる天然の鱒を用いた郷土料理として前田利興に献上したところ、御意に叶い、さらに時の将軍:徳川吉宗に献上して激賞を受けたことなどから、富山の名産品として現代まで受け継がれてきたといわれています。
「鱒の寿し」を提供する店舗は富山市内だけでも10店舗以上。青山総本舗さんは富山駅からほど近い好立地にあり、連日多くのお客さまが訪れます。素材となる鱒はもとより、お米やお酢、笹の葉、そして「鱒の寿し」を収める“曲げわっぱ”に至るまですべてにこだわり、昔ながらの手作りの味を大切にしています。伝統を守りながらも、常に「もっと美味しく!」と創意工夫し、進化を続ける匠のメッセージを皆さまもぜひご一読ください。


青山総本舗はもうすぐ創業70年。私で3代目です。私は富山県の出身で、名古屋の大学を卒業した後、地元で仕事がしたいと、富山市内のコンピューター関連会社に就職しました。そこで妻と知り合ったのですが、妻のお義父さんがこの青山総本舗の2代目で、私に「鱒の寿し」を教えてくれた師匠というわけです。
妻と出会った職場は今とまったく畑違いの業種でしたが、当時の私は自分がやりたい事、なりたい像がみえずに、労働条件など表面的なことで仕事を選んでしまっていました。そんな中、若いころから頭の中にあった「“食”と“サービス”に関わる仕事がしたい!」という気持ちが強くなって転職を決意し、金沢市内のホテルでレストランのサービス職に就きました。
その仕事を通じて、色々なシェフの方やソムリエの方など、さまざまなプロの仕事観・価値観に触れられたことは、僕の大きな財産です。中でもその後の僕の価値観に大きな影響を与えてくれたのは、フレンチシェフの方が教えてくれたこの言葉です。
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建物を建てる時、緻密に考え抜かれた設計図があるように、料理にも設計図がある。その設計図を無視しては、美味しい料理は決してつくれないんだよ。
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その方は自分が思い描いた味と美しさが実現できるように、素材選びの段階から微に入り細を穿って(うがって)、素材となる野菜を自ら育ててしまうほどでした。だからその方が作る料理の一つひとつにはすべて、誰が聞いても納得できる「理(ことわり)」が込められています。

青山総本舗の鱒の寿し作りにおいても、「拘り(こだわり)」よりも、「理」という考え方を大切にして、フレンチの一流シェフが教えてくれた言葉と通ずるものがあります。もちろん、その時にはまだ、自分が鱒の寿しを作る職人になろうとは想像もしていませんでしたが、はっと振り返った時、地元富山で300年もの間受け継がれてきた鱒の寿し作りを続けているご家族の娘さんとお付き合いをしていて、しかもその娘さんが3人娘の長女であったことにも運命的なものを感じて、婿入り婚をお願いしました。

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青山総本舗の鱒の寿し

現在、鱒の寿しに使っている鱒は北海道産です。この土地でこの食文化が根付いた背景には、富山市内を流れる神通川で鱒がたくさん獲れたことがありますが、今ではすっかりいなくなってしまいました。ただ、神通川の水は今も澄んでいて、鮎はたくさん泳いでいます。また富山は海も山も近く、美味しい食材が豊富なので、食べ物本来の美味しさを知る機会に恵まれています。
そんな中、鱒の寿しにぴったりの鱒として選んだのが、北海道産の鱒でした。「“特選”鱒の寿し」で使用するのは、天然の桜鱒。「“定番”鱒の寿し」で使用するのは、輸入の養殖鱒と使い分けています。昔よりも養殖技術が発達して、鱒の品質も良くなっているのと、養殖鱒は天然鱒よりも魚の脂が多いため、若いお客さまの中には「養殖鱒の方が好き!」という方も多くいらっしゃいます。
天然・養殖を問わず、鱒は1本1本丁寧におろし、美味しく食べやすい大きさになるように切り身にします。酢飯を仕込んだあと、鱒の切り身を塩でしめ、酢を合わせます。笹を敷き詰めた竹わっぱに、鱒の切り身を均等の厚さに敷いて酢飯を乗せ、笹をかぶせて蓋をします。その後、鱒のうま味が均等にいきわたるまで、適度な重石を乗せると「鱒の寿し」が完成です。

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「鱒の寿し」作りにおける理(ことわり)

私はこの「理」と言う言葉が好きで、鱒の寿し作りにおいても、すべて理に基づきたいと考えています。北海道産の桜鱒と同様、素材選びにおける「理」として、お米は土づくりを大切にするアルギット農業の技術を取り入れた、特別栽培米のコシヒカリを使用し、火力を加えない除湿風力乾燥により、じっくりと米本来の風味を引き出しています。
お酢は、全国数十種類の酢を試した結果、「素材の味を引き立てる調味料として、群を抜いている!」と感じた、京都の三条大橋橋詰の村山造酢の「千鳥酢」。そして笹は古くから、乾燥したものが漢方薬としても重宝され、天然の包材として防腐の効能も期待できる、新潟県村上地方で採れた「熊笹」を使用しています。
また、手順として鱒の寿しを作る直前に鱒を酢でしめているのは、酢飯といっしょに味が熟成していくようにするためです。そして、丸い形の「竹わっぱ」を使うのは、重石の圧力と鱒のうま味を均等に分散させるのに優れているからです。もともと「鱒の寿し」は、普通のお寿司のように「握ってすぐに食べるもの」ではなく、買った日の夜、もしくは翌日のお弁当にするなど、時間を置いてから食べるものです。だから常に「熟成」ということを考えて作ることを大切にしています。
「鱒の寿し」は美味しさとしての理だけでなく、お米の「白」と笹の葉の「緑」、そして鱒の「赤」と鮮やかな3つの色彩で見た目にも美しい食べ物です。これからもさまざまな「鱒の寿し」のさまざまな「理」を追求しながら、進化させていきたいと思います。

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「鱒の寿し」が続いていくために。

伝統的な作り方を守りながらも、新しい価値をつくっていくことが必要です。「鱒の寿し」は、先人たちが創意工夫し、しっかりとした「理」がある素晴らしい食文化ですが、作り方そのものはいたってシンプルです。だからこそ一つひとつにどれくらい思慮を込めて作れるか、そこからいろんな可能性を想像できるかだけだと思います。私が「鱒の寿し」を作り始めて25年目が経ちましたが、このあたりで満足というのはないですし、もし満足したら、明日からの仕事がつまらないものになってしまいます。だから、「何年間経験を積んだら一人前!」ということでもなく、買ってくださったお客さまに、いつも「また買いたい!」と思っていただける工夫ができるかどうかなんだと思います。

もともと「鱒の寿し」は丸い竹わっぱに一段ずつ作るものでしたが、これを食べやすい8等分の大きさに切ってから、笹で包む「銘々包み」というものを、2006年から取り入れました。
従来のやり方から考えると、出来上がった「鱒の寿し」の笹を開いて、8等分に切ってから、また一つひとつ笹で包んでいくわけですから、大変な手間がかかります。当時の職人さんで賛成する人は誰もいませんでした。ですが、何か新しいことをやろうとすると必ず反発は起きるものであるということはわかっていましたから、意に介さず最初は私一人でやりました。始めてみて確信したことは、一段になっている「鱒の寿し」は一度開けたら食べ切らなければならない、と感じること。女性のお客さまなどには、丸一段では多いという方もいらっしゃいます。一つひとつがちょうど良い大きさになっていた方が食べやすいですし、友達と分けて食べることだってできます。結果は、お弁当としても、お土産としても大ヒットでした。
当時からどこのお店の職人たちも、出来上がった「鱒の寿し」に包丁を入れると雑菌が入るから、とか、日持ちがしなくなるからとか、色んな意見(言い訳)がありましたが、お客さまのために少しでもよい!と考えたことは何でも実行するようにしています。


残したいもの、残すべきものがあるからこそ、それを守るためのアイディアを考えて、しっかりと商いを回していくしかありません。これからも「自分が鱒の寿しの担い手」であるということを信じて、青山総本舗だけでなく、鱒の寿しを愛してくださっている全てのお客さまが、いつでも「食べたい!」と思えるようなものを作りつづけていきます。

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