Japan Vision Vol.142|地域の未来を支える人たち 秋田県大仙市
北日本花火興業 代表取締役 花火師
今野 義和さん

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地域の未来を応援する「Japan Vision」。第142回目となる今日は、日本三大競技花火大会「大曲全国花火競技大会」などで数々の受賞歴を誇り、“創造花火の皇帝”“型物の天才”の異名を持つ花火師、北日本花火興業・代表取締役:今野 義和(こんの よしかず)さんのメッセージをご紹介します。
北日本花火興業さんは、花火の本場・秋田県大仙市「神岡地区」に工場をかまえる、創業120年の老舗花火師集団です。大曲の花火では“菊型花火”と呼ばれる伝統技術で競う部門と、伝統的なカタチに囚われないユニークな作品が集まる“創造花火”という部門があり、四代目の今野さんは“創造花火”の第一人者として、広くその名を知られる存在です。これまでに数多くのキャラクター花火を生み出してきただけでなく、会場に音楽を流し音楽のリズムに合わせて花火を打ち上げるという、今では全国的に定番となったスタイルを、初めて実現させた人物でもあります。
近年、花火の打ち上げ技術も飛躍的に進歩し、花火そのものの美しさだけでなく、安全性も高まっているなか、今野さんは花火を「平和を象徴する文化」のひとつとして未来へ繋ごうと、挑戦し続けています。そんな匠のメッセージを、皆さまもぜひご覧ください。

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花火を作れるまでには最低5年。
大切なのは「花火作り」よりも「人づくり」

たくさんの愛情と手間をかけて仕上げた花火が、夜空高く打ち上がり、爆音とともに鮮やかな大輪の花が咲く。そしてその瞬間、地鳴りのような見物客の大歓声が聞こえてくる。花火師たちは、この瞬間のために生きています。工場がフル稼働している時期の作業や、夏場の打ち上げ現場は体力的にかなりキツイと思いますが、だからこそ、花火師に憧れて入ってきた若い人には、先ず現場を見せることにしています。私たちが喜びや生きがいに感じている現場に、興味や夢を見出してくれたなら、その人にとっても生涯を賭けてモノにしたい、魅力的な仕事になると考えているからです。
花火師になるためにはまず“火薬に慣れる”ことが重要です。先輩たちの助手として火薬を運んだり、乾して並べたりすることから始めて、少しずつ慣れて行きます。それと打ち上げ現場を数多く経験すること。花火は工程の一つが狂うだけでもまともには上がりません。また一つのミスが大事故に繋がることもあるため、現場には常に緊張感があります。そういう場面を経験して行くことで、花火作りの仕事の一つ一つに、緊張感を持って取り組んで行けるようになります。
伝統の“菊型花火”を自分で作れるようになるまでには最低5年の修業が必要です。「星」を正確に詰めていく作業なら3年ほどで出来ますが、“花火の美しさの命”ともいえる「星」そのものを一人前に作れるようになるまでには、やはり5年掛かります。「星」は自分が描きたい花火の基になるものですから、どの火薬を何割混ぜるといった“レシピ”よりも、自分の手の感覚や目で見極めることが大切です。私自身、今でも一番面おもしろくて、奥深さを感じる作業は「星作り」です。
「星作り」の次に大切なのが、「玉貼り」。花火は打ち上げに使用する火薬の爆発力に耐えてはじめて上空に上がります。花火のサイズに応じて、玉に貼っていくクラフト紙の厚さ、つまり強度を調節するのですが、直径15センチメートルほどの「5号玉」でクラフト紙を15層、「10号玉(1尺玉)」では50層にもなります。丈夫に!均等に!そして花火の中心に絶対に水分が入らないよう、1枚1枚乾燥させながら丁寧に貼っていく。それを正確に手際よくこなすことが重要です。花火の中心に繋がる「導火線」が、打ち上げてから爆発するまでのタイマーの役目をします。正常であればおよそ5秒後に上空でドカンといきますが、これが正確に機能しないと「不発」となり、玉だけが落ちてきますし、もし導火線がたった1秒で燃え尽きてしまったら、それこそ大事故に繋がります。この様に、危険なモノを取り扱う仕事だからこそ、仕事に対する緊張感と責任感、そして花火に対する愛情が何よりも大切なのです。花火の作り方を覚えていくことももちろん大切ですが、一番大切なのはやはり“人づくり”です。若い人たちには、自分で作った花火を自分でテストして、感触を掴んでもらい、良いところはしっかり褒めて、ダメだったところはアドバイスを与えながら“いっしょに”考える。そうやって少しずつ花火を作れる「人」をつくって行きます。

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“創造花火の皇帝”“型物の天才”

花火の形は「菊」や「牡丹」など花に例えられますが、作り方によっては花だけではなく、色々なものに見せることができます。大曲の“創造花火”はそこに着目し、且つテーマを大切にしています。大曲の競技会自体は100年以上の歴史がありますが、“創造花火”を競うようになったのは、私が生まれた昭和39年(1964年)のことです。うちでは伝統的な花火を作りながら、父の代から“創造花火”へのチャレンジを始めています。そして35年ほど前に私が“創造花火”に現代風のタイトルをつけるということを始めて、それがトレンドになってきました。「○○ファンタジー」といったように、花火にテーマを込めた名前を付ければ、お客さまも親しみやすくなるんじゃないか!?というアイデアからです。時代とともに「型物」と呼ばれるキャラクターものの花火も定番になってきました。花火作りは玉の断面に星を詰めていくのですが、玉の中心から遠い所にある星は遠くに飛び、近い星はほとんど飛ばないというメカニズムがあるため、爆発の時に断面と同じ形で広がっていくわけではありません。簡単なものを例に挙げると「スマイルマーク」です。あのマークの通りに星を配置すると、目と口が委縮してしまうため、そこを調整して配置しないとうまくいきません。そうした工夫を繰り返し、デザインをデフォルメして、見た人にわかってもらう!ということに面白みがあります。お客さんが花火として想像もしていなかった様な絵が、夜空に大きく浮かぶからこそ大歓声があがるんです。
このように「型物」はとても難しいため、豊富な経験が必要です。花火師として王道の「菊型花火」を作れるようになってからはじめて取り組めるようになります。火薬を詰める感覚や、色んなパーツの取り扱い方を覚えることは花火師にとってのスタンダードで、ケーキ屋さんがスポンジケーキをきちんと焼けてはじめて、ショートケーキを作れるようになるのと同じです。詰める時は、人の心というものが花火に形となって表れるので、作る人が楽しんでいないといけません。花火はまさしく生き物みたいなものだと思っています。

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学生時代に思い描いた「花火×音楽」が定番に

私がプロデュースしているイベントの一つに、「男鹿日本海花火」というものがあります。これは毎年違ったテーマを設けてエンターテイメントショーをお見せする目的で開催しているものなので、花火師としてのオリジナリティを大切にしています。もともと「男鹿でなければ見られない花火をやって欲しい!」というオファーだったので、どこかの花火と似ている作品を披露するのではなく、私たちが頭の中で想像して「やりたい!」と思った花火を、思い切りやらせていただいています。おかげさまで、「北日本花火興業の花火が見たい!」という人が多く集まってくださるようになりました。
そしてもう一つ「花火交響曲」というものがあります。これは、大勢の方が知っているクラシックの曲、面白くて盛り上がりそうな曲目に乗せて花火が奏でられる演目ですが、この「花火×音楽」という概念の基になったのは、私が学生時代にやっていた吹奏楽でした。
実は私が父の後を継ごうと思ったきっかけの一つは、「花火に音楽要素を加えると表現の幅が広がるのではないか?」という思いからです。当時はまだ「花火×音楽」という考え方がなく、“花火自体が音楽を奏でている”という世界でした。そこで、大曲の花火コンクールに私がカセットテープを持ち込み、花火のBGMとして合いそうな曲を「出番の時に流してください」とお願いしたのです。結果としては大成功で、そこから花火に音楽を合わせる花火屋さんが1軒、また1軒と増えていきました。花火屋さんによっては、花火が終わっても音楽が鳴っていたり、花火の途中で音楽が終わってしまったりという状況でしたが、いまはコンピューター制御で、花火と音楽が見事にマッチングしてくれます。伝統的な花火から、最新の花火、また花火のいろんな演出方法を研究していますが、「打ち上げ技術」は特に進化していると感じます。

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花火が上がった瞬間、幸福感が生まれる。

今後も日本の花火文化を次世代につないでいくためには、ものづくりの面白さ、大切さ、その魅力を伝えていくことが大切です。花火師の仕事は、夜空に直径300m、500mもの巨大な絵を描き、大勢の人に喜んでいただける壮大な仕事であり、私たちにとって本当にやりがいのあるものです。
一方、現代社会においては日常からだんだんと「火」が消えています。タバコが敬遠され、家庭ではIH化が進み、当たり前のようにエアコンが付いている代わりに囲炉裏やお仏壇は消えています。特に子供たちにとって火はますます遠い存在となり、そのうち「火が熱い」ということを知らない世代も出てくるんじゃないでしょうか。そうなってくると人間と火の関りは薄くなり、とても神聖なものである火を軽んじてしまう時代が来るのではないかと危惧しています。そういった状況においては、花火が「火」と一番身近な存在になってくるかもしれません。だからこそ火の文化として、花火を伝授していくことを心掛けたいと思っています。
そしてもう一つ、「火薬文化としての花火」です。火薬の使い方のひとつである花火は、使い方を間違えれば人を殺傷してしまうものですから、平和な国でないと決して打ち上げることはできません。実際に日本でも戦時中はすべての花火大会がストップして、花火屋さんたちは、軍の演習用の武器を作らされていました。

つまり、花火が上がるということは“平和の象徴”なのです。
花火が上がった瞬間、人は笑顔になり、そこに幸福感が生まれます。だからこそ50年先、100年先の日本でも、「花火」が平和であることを認識し合えるツールであって欲しいと強く思います。そのためにこれからも、一所懸命に花火作りを続けて行きます!

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今野 義和さん
素敵なメッセージをありがとうございました。

■北日本花火興業 公式サイト
http://www.knhk.org/

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