更新日:2016年07月22日

Japan Vision Vol.20|地域の未来を支える人 佐賀県西松浦郡有田町
重要無形文化財「白磁」保持者 人間国宝認定
井上 萬二さん

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有田焼の巨匠であり、重要無形文化財「白磁(はくじ)」保持者(人間国宝認定)、井上萬二(いのうえ まんじ)さんのメッセージをご紹介いたします。 昭和4年(1929年)佐賀県有田町に生まれ、今年で87歳になられた井上さんは、今でも毎日作陶を続けられ、後進の指導にも情熱を傾けていらっしゃいます。そして驚くことに、48年も前から海外の大学で日本の伝統工芸の講師を務め、銀座和光では40年間連続で、毎年出展作品を変えた個展を開かれています。さらに今年で400周年を迎える有田焼の歴史の節目に際しては、20年前から、造形・色味すべて異なる「白磁」作品を毎年20作、実に400におよぶ新作を生み出されました。その凄まじい力の源はどこにあるのでしょうか。一切の加飾に頼らず、造形だけで作品の端正さ、温かさ、風格を表現する「白磁」の世界に生涯を賭け、真髄を追求されてきた匠のメッセージ。皆さまもぜひご一読ください。

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私は昭和4年に有田町で生まれました。実家も有田焼の窯元を営んでいましたが、物心ついた時には既に戦争の真っ最中。男性も女性も無く、日本全体が戦争に向かっていたため、陶芸家を志す夢などとうてい持てずにいました。15歳になった私は徴兵を待つことなく、自ら海軍飛行予科練習生に志願しパイロットになります。その時に受けた「訓練」は、現代では考えも及ばない程過酷なもので、強靭な精神力と体力、そして、どんなことが起きても「ひるまない、負けない」魂を叩き込まれました。その訓練がなければ絶対に得られなかったであろう「強さ」を、その時手に入れることが出来たのではないかと思います。
戦争が終わり復員した私に、親は「自分の窯のあとを継いで欲しい」と言い、また、「必ず平和が訪れるから、陶芸家として確かな経験を積んで欲しい」とも言いました。その言葉に陶芸家としての道を志すことを決意できた私は、どうせ志すなら「自分だけのものを作りたい」と、酒井田柿右衛門の下で「磁器製法」の学び、そして奥川忠衛門の下で、「ろくろ」の技術を学ぶことを切望しました。ただ、その当時の職人というものは、自らの作品に集中するため、また自ら培った技術を「教える」という考えがなかったため、基本的に弟子を取りませんでした。何度も断られる中、半ば強引にお願いをし、ついに卓越した天才的な技術を、間近で見ることができる環境を得たのです。その時私は17歳。それが、陶芸家としての道の始まりです。

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名陶無雑。完璧なモノに「色」はいらない。

私たちが作るモノは芸術品ではなく、工芸品です。「美」と「用」を兼ね備えて初めて、人間性溢れる作品が生まれると考えています。特に焼き物は、「食」と切っても切れない関係であるため、「用」を捨てて「美」だけを追求することはあり得ません。
私が追及する「白磁」は、一点の濁り、一点の歪みも許されません。陶芸家としての道を歩む中で、より美しく見せるために「加飾」をしてみたこともありましたが、今から50年前、初めて自分の展覧会を開いた際に、小山富士夫先生からいただいた称号であり、座右の銘にもしている「名陶無雑」の文字が、私の進むべき道を照らしました。完璧なモノには、「色」はいらないということに気づき、本当の美しさを造形で表現し、本当に美しいものであるからこそ「無色」で残すために、これでもか!これでもか!と徹底的に造形美にこだわりました。

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向き合う心が、技術と想像力を育てる。

本当に美しいものをつくるには、自ら高い目標を持って、最低でも10年の修行が必要です。積み上げられた確かな技術、そして、それ以上に「想像」するセンスを合わせ持たなければなりません。技術と想像力、そして純粋に作品と向き合う心をもって、初めて自分の作品になります。今日はどんなものをつくるのか?明確に想像してから作陶に入ると、作品と向き合う中で、新たな想像が生まれます。その想像を直ぐに形にすることが大事です。その想像は、優れた芸術家・陶芸家の作品を見る事でも得られますし、旅に出て、これまでに出会ったことがない文化やカタチから刺激を受けて生まれることもあります。作陶に没頭する時間と、旅に出て多くの刺激を受ける時間、私にとってはその両方が貴重な時間です。
真剣に作陶と向き合って、10年・20年と続けて行くうちに、「土が文句を言わない」という感覚を得ることができます。仕事や恋愛、夫婦などの関係とも似ていて、始めはどうしても「小言」が出てきてしまいますが、お互いに愛情を持って、お互いを受け入れて、そうした時間を継続していくことで、だんだんと「小言」が必要なくなります。作陶も同じで、長い間、土と真摯に向き合っていると、だんだんと、自分の想像通りの曲線を描いてくれるようになります。陶芸家として、「土が文句を言わなくなった」と感じられたら、大したものですし、そうした域に達しないと一人前と言えないと感じています。

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「これでいい」という終わりはない。

これまでに数々の名工たちが優れた作品を生み出してきたからこそ、今がある。先人たちが築いてきた技術を、私たちが“継承”して行かなければなりません。私自身が一人の陶芸家として行ってきた、後進の指導しかり、展覧会しかり、この400周年に向けて20年前から続けてきた、造形・色味すべて異なる「白磁」400点の作陶もまたしかりです。400周年が単なる節目の「祭」になるのではなく、「警鐘」を鳴らす年でなければならないと思います。
作陶は追求しても、追求しても「これでいい」という終わりが無い世界です。修行時代においても「給料」や「休暇」が貰える、豊かな現代社会では、本当の「修業」をすることは難しいかもしれません。その中で自分の目指すべき道をどれだけ明確に想像し、生涯を賭けて追及することができるでしょうか。若い世代の方には、そのことを真摯に考えて、選んだ道を邁進して欲しいと思います。
私は年齢を重ねましたが、まだ心は枯れていません。“生きている限り”精進を止めません。

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