更新日:2016年12月12日
Japan Vision Vol.42|地域の未来を支える人
滋賀県近江八幡市
森島商事株式会社
森嶋 篤雄さん 犬井 正秋さん
広く称賛される「近江牛」の故郷:近江八幡市で、明治の文明開化より140年にわたり、三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)という、近江商人の魂を受け継ぎ、近江牛の歴史とともに歩んできた老舗ブランド「毛利志満」を展開する、『森島商事株式会社』。今回は森島商事の代表取締役社長、森嶋篤雄(もりしまとくお)さん。そして、半世紀以上にわたり「毛利志満(もりしま)」の品質を支えてきた、近江牛飼育の匠、同社の取締役畜産部長を務める、犬井正秋(いぬいまさあき)さんのメッセージをご紹介します。毛利志満のルーツは明治初期、東京浅草から始まります。まだ日本人に「肉を食べる」文化が浸透していなかった時代に、滋賀県竜王町山之上出身の竹中久次と森嶋留蔵の兄弟が、浅草に牛肉の卸小売と牛鍋専門店「米久(よねきゅう)」を開業し、これが爆発的にヒットしました。「往来、絶えざる浅草通り。御蔵前の定舗の名も高旗の牛肉鍋」と歌われ、高村光太郎により『米久の晩餐』として詩にとりあげられるなど、米久の牛鍋が、一世を風靡したそうです。明治の時代から人々に愛され続ける近江商人の魂と、近江牛の品質を守り続けてきた2人の匠のメッセージを、ぜひご一読ください。
明治天皇が初めて牛肉を食べて「美味であった」と、
ご本人の感想が新聞で大々的に報じられました。
森嶋篤雄さん
この土地(滋賀県・湖東地方)は、鈴鹿山系より琵琶湖に注ぐ愛知川・日野川・野洲川の三河川流域の中心に位置し、二毛作により豊富な穀物資源に恵まれ、また盆地特有の気候条件も相まって、牛の飼育に適していたため、牛は江戸時代から農耕牛として、人間と身近な存在でした。
その当時はまだ、「肉を食べる」という文化がありませんでしたが、明治時代に入り、横浜などの港町を中心に外国人が増えてくると、「彼らは牛肉を食べるらしい」と噂が広まりました。当時、米問屋を営んでいた竹中久次と森嶋留蔵兄弟は、江戸に「牛の仲買人」がいると知り、「牛は商売になるかも知れない」と計画を立て始めました。牛を買い取り、食肉として売買する話を、初めてお百姓さんにしたときには、「牛を食べるなんて野蛮だ」と大変驚かれたそうですが、農耕牛として長く務め、働けなくなった「老廃牛」を買い取る話を持っていったところ、「働けなくなった牛を引き取ってくれて、しかもお金までくれるなら大変有難い」と、話がまとまります。そうして買い取った牛たちを15~20頭ほど連れ、鈴鹿峠→箱根峠を越え、“歩いて”江戸の街まで行ったそうです。たくさんの牛たちを引っ張り、数百キロにおよぶ道のりを歩く旅は、大変な苦労が伴うことは容易に想像できますが、江戸まで到着できれば大金を得ることができます。そのお金でまた次の牛を仕入れ、江戸まで売りに行く。そんなことを何度かやっていくうちに、ついに浅草で商売を始めるに至りました。
運が良いことに、ちょうど同じころ、明治天皇が初めて牛肉を食べて「美味であった」と、ご本人の感想が新聞で大々的に報じられると、日本人の間に牛肉を食べる習慣が一気に根付き、牛鍋の専門店「米久」は大繁盛。最盛期には、26店舗を数えるまでになりました。しかしその後、関東大震災による被害、そして世界大戦による東京大空襲で大打撃を受けたほか、昭和の統制経済などの影響を受け、「米久」は竹中家・森嶋家の手から離れることとなりました。ただその後も、近江商人としての魂は消えることなく、ふたたび昭和25年からこの地で自家肥育牧場による近江牛の飼育を再開し、現在に至ります。
この仕事は牛の状態に常に気を配り、
それによって得られた経験値がなによりも大切なのです。
犬井正秋さん
毛利志満の牧場で育てている牛は、黒毛和牛の中でも最高級と評される、兵庫県但馬牛の血を引く血統正しい生後7~8ヵ月の雌牛のみです。牛の品質を確保するうえで重要なことは大きく2つ。
1つ目は、最高品質の仔牛を見極める“目”を持つこと。2つ目は、牛たちが育つ最適な環境を用意し、成長をしっかりと見守る“愛情”を持つことです。私は牛を育てて半世紀以上(52年)になりますが、一頭一頭、性格や表情の違いがわかります。また牛は、基本的に用心深く、臆病な生き物なので、ストレスを貯めてしまうとすぐに体調を崩してしまいます。この仕事は牛の状態に常に気を配り、それによって得られた経験値が何よりも大切なのです。その成果は、牛たちが成熟し、出荷する段階で「品質」となってはっきり出てきます。
牛の体は例えるなら「年輪」のようなもので、食べた飼料が牛の体の内側からお肉(脂)となります。その後の成長過程で食べた飼料は、さらに体の中心からお肉となり、前に食べて作られたお肉を押し出し、牛の体をどんどん大きくしていきます。つまり体の外側は仔牛の時に食べた飼料でつくられたお肉(脂)で、体の中心のお肉は、それぞれの成長年齢ごとに食べた飼料で作られている、という訳です。1つの試みに対して結果が出るまでは、2年半~3年の月日が必要になりますが、それらを経験則として頭にインプットし、また次の飼育に活かしていく。この長いサイクルを繰り返すことで、最高品質の近江牛を育てるノウハウが確立し、いつでも変わらない味をお客さまに提供することが可能になるのです。
仔牛の仕入れは「競り」で決まります。仔牛たちの品質を見極めることを、マグロの目利きのような感覚かと、質問をいただくことがありますが、どちらかというと人を見ているような感覚です。人も顔つきや表情・体つき等から、だいたいどんな性格の人か、運動が得意な人かなど、ある程度の想像ができると思いますが、仔牛を見る時の目はそれに近いです。30~40分程度、仔牛たちの様子を見極めて、血統などの情報から入札価格を決め、一発勝負で入札します。私の父親は、決して「安くて良い牛を買ってこい」とは言わず、常に「良い牛を買ってこい!」と言い、また「競りの後に悔いるのは、半人前がやることだ!」と、私に言い聞かせました。人は慣れてくると、「良い牛を安く仕入れて、利益を出したい」など、どうしても欲が出てきてしまうものです。しかし面白いもので、そういう風に欲が勝った時の入札は、失敗するものです。1頭100万円近くもする、血統の良い仔牛を、未来を見越して1度に10頭も仕入れるいわゆる先物買いですから、腹が据わっていないととても務まりませんし、その腹が据わるまでには、それを裏付けるだけの経験と、確固たる自信が必要なのです。
三方よしという「近江商人」の魂を受け継いだ結果が、
「継続」につながっているのだと思います。
森嶋篤雄さん
毛利志満牧場では、特別な飼料を牛たちに食べさせるわけではなく、また、飼育方法に独自の手法や企業秘密があるわけでもありません。ただ長年の経験と成果から、品質を確保するうえで必要と感じていることを、全てやり切っているという自負があります。
また、丹精込めて育てた牛たちを、市場に売却することはせず、全て私たちのお客さまに直接お届けすることを約束しています。そうすることで、世の中の相場に右往左往することなく、最高品質のお肉を、安定した価格でお楽しみいただくことができるからです。市場に出すことで、より多くの利益を追求するよりも、創業当初から持っている、三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)という「近江商人」の魂を受け継いだ結果が、「継続」につながっているのだと思います。
私たちはこれからも、仕事を「お金儲け」とは考えず、「毛」ほど細いわずかな「利」益で、勤勉・倹約・正直・堅実の「志」を忘れず、すべての人に「満」足していただける道を極めるために、日々の精進を続けていきたいと思います。
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