Japan Vision Vol.46|地域の未来を支える人 山梨県甲府市
株式会社印傳屋 上原勇七 代表取締役社長
上原 重樹さん

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天正10年(1582年)の創業以来、400年以上にわたり、独自技法で「甲州印伝」を作り続けている、株式会社印傳屋(いんでんや) 上原勇七 代表取締役社長:上原重樹さんのメッセージをご紹介します。
南蛮貿易が盛んだった16世紀半ばから17世紀初頭に印度(インド)より伝わったといわれる「印伝」は、強く・軽く・柔らかい特性を持つ鹿の装飾革で、江戸時代から武具として重宝されてきました。印傳屋の遠祖(創業者)上原 勇七は、藁(わら)の煙を用いて巧みに着色する「燻べ(ふすべ)」、鮮やかな色彩の調和を生む「更紗(さらさ)」の技術に加え、“鹿革に漆付け”をする独自の技法を創案し、印伝の美的価値と使用価値を高めることに成功しました。戦国時代の終焉により武具としての需要は減りましたが、もともと高い有用性を持つ鹿革と勇七の独自技法が融合したことで、生活小物へと発展します。こうして作られた羽織や巾着、莨(たばこ)入れ、現在のウェストポーチである早道(はやみち)は、当時の上層階級を中心に大変珍重されたそうです。

自然や四季の美しさと、生活を彩る実用美を持った日本の革工芸文化、それを支える高い技法を現代に伝える匠のメッセージを、ぜひご一読ください。

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創業以来400年以上にわたり、「漆付け」と「燻べ」、そして「更紗」の三大技法が、甲州印伝の品質を守ってきました。

16世紀半ばに印度から伝わった技法は、「燻べ」と「更紗」の二つのみでしたが、これに当社の創業者である初代上原勇七が、「漆付け」の技法をプラスしたことが、甲州印伝の起源となりました。現在では、印伝といえば「鹿革に漆」といわれるように、「漆付け」は最も代表的な技法です。鹿革と漆の特性を巧みに融合させ、独自の美しさと風合いを実現したこの独自技法こそ、印伝の魅力を育んできた家伝の技です。創業以来400年以上にわたり、この「漆付け」と「燻べ」、そして一色ごとに型紙を変え、色を重ねて鮮やかな色彩の調和を生み出す「更紗」の三大技法が、甲州印伝の品質を守ってきました。

印伝作りの魅力は、なんといっても「天然素材」を扱う難しさと奥深さです。天然の「鹿皮」に、天然の「漆」をのせ、求める色味と質感を出すことが印伝作りです。単に色をのせるのではなく、革の中までしっかり“浸透”させるからこそ出せる質感がなければ、印伝とは言えません。しかも「漆」は温度や湿度にとても敏感で、「湿気を与えることで乾く」という、普通の素材とは逆の特性を持っています。空気が乾燥しやすい冬場は加湿し、逆に湿気の多い梅雨や夏場は乾燥させるなど、厳格な温度・湿度管理が必要です。このように、天然素材と気候にまで意識が必要なため、長年の経験を持つベテランの職人でも想像し得ないケースがあります。職人一人ひとりが、日々の経験から学び、感じながら素材と向き合うことが重要なのです。

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印傳屋だけが唯一残った背景には、印傳屋独自の「技」と「技の継承方法」があります。

江戸後期には数件あったといわれる印伝細工所が、時の流れで減っていく中、印傳屋だけが唯一残った背景には、印傳屋独自の「技」と「技の継承方法」があります。驚かれる方も多いかと思いますが、私の父である第
13代の上原勇七が、家伝の秘宝である「技」を一般に広く公開するまでは、代々の家長である勇七のみに“口伝”する、「一子相伝」とされてきたのです。
400年もの間、一子相伝により継承してきた「門外不出の技」を敢えて公開した背景には、甲州印伝を日本の代表的な伝統工芸品として、世界に伝播させていく!という父の決意がありました。そのためには、これまでのように「家業」ではなく、「企業」へと変化させる必要があったのです。400年の歴史を変えることは、とても勇気が要る行動だったと思いますが、印傳屋の屋台骨を、長年一緒に支えてきた職人・社員との信頼関係があったからこそできた決断だと父はいいます。

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モノづくりをする会社である以上は、誰よりも経営者が現場を理解すること。

この本社ビル(兼工場)が出来たのは今から約20年前。それまでは本店がある甲府市中央の土地に、お店と工場が併設してあり、またその隣には私が幼少期を過ごした実家があるという環境でした。小学校から帰ってくると、父の目を盗み漆場で「鬼ごっこ」をしたり、昼休みになると職人さんたちにキャッチボールをして遊んでもらったりと、昭和の時代によく見かけた、地元の町工場のような世界だったことを覚えています。そんな環境だったからこそ、幼少の頃から「印伝」は常に身近な存在で、また興味の対象でもあったため、自分が将来「印伝屋」の仕事をすることに、何の疑いも抵抗も持ちませんでした。小学校の卒業文集にも、将来の夢は「印伝職人」と書いてあります。(笑) 
そんな幼少期から、腕の良い印伝職人であり、経営者でもある父の現場での仕事、職人や社員との接し方を見てきたことは、私にとってとても大きな財産でした。「モノづくりをする会社である以上は、誰よりも経営者が現場を理解すること。」父は多くを語るタイプではありませんが、その重要性を常に説いてきたため、私自身も入社すると当たり前のように現場で印伝作りの「修行」をしました。父がいう職人・社員との信頼関係は、そこから培われ、継続してきたものであると振り返っています。

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30年以上続けていることですが、毎年5月に必ず新モデルを発表しています。

「門外不出の技」を公開した以上、伝統の技法を守りながら、常に新しいモノ作りを続けなければなりません。これは私が副社長だったころから、30年以上続けていることですが、毎年5月に必ず新モデルを発表しています。そのための開発メンバーを選出し、外部のデザイナーと職人たちも参加するプロジェクトチームを発足します。企画・営業・一般社員・職人・デザイナーで構成されたメンバーが、さまざまな角度から議論を重ね、一年間掛けて完成までもっていくのです。(※ちなみにこのチームは、「マンネリ化」を避けるため、その年の結果に関わらず、毎年メンバーを変えています) プロジェクトチームでは単発のデザインを発表することが目的ではなく、商品として販売することが前提ですから、デザインだけが良くても機能だけが良くても合格ではありません。また出てくるデザイン案の中には、技術的に実現が難しいものもあり、始めは何度も意見がぶつかりますが、参加メンバーは「絶対に良いモノを作り、これまでにない成果を出したい!」という強い想いがありますので、だんだんとお互いを理解し、「戦友」のような関係になっていきます。重要なのは双方で決して妥協をせず、合意に至るまで議論をし尽すことです。

技術をオープンにし、毎年新しいモノづくりをしていることで、お客さまの層も広がってきましたし、社内の信頼関係もますます固くなっていることを実感しています。それは現場の社員・職人だけでなく、店舗でお客さまの対応を行うスタッフも同様です。常にお客さまの声をダイレクトに社内共有できる、直営店の強みも活きています。

いま取り組んでいることの本当の成果が出るまでには、まだまだ時間がかかりますが、これからも先人たちが築いてきた伝統の技法をしっかりと守りつつ、常に新しいものを取り入れ、発展させることで、甲州印伝の魅力を広く伝播させていきます。

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