更新日:2017年02月20日
Japan Vision Vol.50|地域の未来を支える人
愛知県岡崎市
株式会社まるや八丁味噌
代表取締役社長 浅井 信太郎さん
延元二年(1337年)に醸造業として創業、江戸時代に八丁味噌造りを始めて以来、伝統の技と味を頑なに守り続けている、株式会社まるや八丁味噌 代表取締役社長:浅井 信太郎(あさい のぶたろう)さんのメッセージをご紹介します。
江戸時代から続く「まるや」の味噌造りは、天然の「大豆」と「塩」と「水」だけを原料とし、幅6尺(約182センチ)の杉桶の醸造樽に3トンもの石を積み上げ、二夏二冬(2年半以上)じっくり熟成させる、昔ながらの伝統製法(天然醸造)を守り続けています。大豆の旨みを逃がさない「硬さ」と「旨さ」が特徴の八丁味噌は、現在世界20カ国以上で「Hatcho Miso」の商品名で親しまれているのだとか。
現在、代表を務める浅井さんに、八丁味噌が多くの方に長く愛される理由を聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
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特に変わったことがあるわけではありません。
“ブランド“とは、お客さまとの“約束事”ですので、
欲を張らず、近道を考えず、形を変えず、
当たり前のようにその約束を守ってきました。
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味噌造りと真摯に向き合う姿勢と、お客さまへの深い愛情が伝わってくるメッセージです。こうした浅井さんの言葉には、時代に流されない商売の本質と、継続させていくための多くのヒントが含まれていました。そんな匠からのメッセージを、ぜひご一読ください。
唯一の競合会社とは時には競い合い切磋琢磨しあって、
味噌造りを続けています。
「八丁味噌」の名は、岡崎城(愛知県岡崎市)から西へ八丁(約870メートル)の距離にある、八帖町(旧八丁村)に由来しています。もともとこの地は、矢作(やはぎ)川の舟運と旧東海道が交わる水陸交通の要所でした。江戸時代には土場(船着き場)・塩座(塩の専売)があり、舟運を利用して原料の大豆や塩を調達できたこと、また、矢作川の良質な状流水にも恵まれたことなど、八丁味噌造りの条件が揃っていたことから、味噌造りが盛んになりました。
現在、八丁味噌を造っている会社は、私たち(まるや八丁味噌)と、東海道を挟んですぐ正面にある「カクキュー八丁味噌」さんの2社だけです。唯一の競合会社が、「お隣さん」ということに驚かれる方も多いのですが、江戸時代からお互いに手を取り、時には競い合い切磋琢磨しあって、お互いに伝統製法で味噌作りを続けています。理想とする会社の例を一つ挙げるのであれば、それはカクキューさんです。
味噌の仕込みには、熟成樽と重さ3トンの石を使います。
私たちが守っている八丁味噌の伝統製法とは、天然の素材(大豆・塩・水)だけを原料とした「天然醸造」です。八丁味噌の造り方は「麹造り(こうじづくり)」と「味噌仕込み」の大きく二つの工程に分かれ、味噌の基礎となる「麹」は米麹を使わず、大豆と塩と水だけを加えて仕込む「大豆麹」です。
大豆の精選→大豆の水洗いから始まり、その後、浸漬(大豆に水分を含ませる)→水切り→大豆の蒸煮(大豆が赤褐色になるまで蒸煮します)を行います。蒸し上がった大豆を一定の温度になるまで冷やし、丸めて麹菌をまぶします。そして適度に麹菌が繁殖すると、大豆麹の完成です。
「味噌の仕込み」には、現在では作れる職人が少なくなってしまった、木桶の「熟成樽(杉の木を使った幅6尺もの桶で6トンもの味噌が熟成できます)」と、重さ3トンの「石」を使います。熟成桶の中に職人が入り、出来上がった大豆麹と塩と水を少しずつ均して(ならして)、踏み固めます。このとき、塩分と水分が均等になるように、一度にたくさんは行わず、余分な空気を抜きながら、少しずつ均していくのです。この単純作業を熟成桶が満たされる6トンになるまで繰り返すと、「石積み」に移ります。
「石積み」は、味噌に対して均等に負荷が掛かるよう、石積み職人の手によって、全体のバランスを取りながら一つ一つピラミッド型に積み上げられていきます。職人たちは"石には、顔があり"、また"乗せると積むとは違う“とも言いますが、その言葉通り、過去に大地震が発生した時も、桶の上にピラミッド型に積まれた数百個の石はビクとも動かなかったほど頑強に積まれているのです。
こうして大桶に味噌が均され、石が積まれると、ゆっくり“熟成”期間に入ります。土作りの壁でできた、醸造蔵の中で、ゆったり流れる時間とほんのり香る味噌の香りは、八丁味噌蔵ならではのものではないでしょうか。
自然の摂理に従い、二夏二冬(2年半)もの間、人の手が一切入ることなく熟成すると、八丁味噌の完成です。桶の上に積まれた石が下され、職人たちの手によって、八丁味噌が掘り出されます。他の味噌よりも熟成期間が長く、また水分量が少ない八丁味噌は、「硬さ」と大豆の旨みがギュッと詰まった、深い味わいをお楽しみいただけると思います。これが300年間変わらない、八丁味噌の「製法」と「旨さ」です。
当たり前のことを当たり前のように、お客様への約束を守る。
このように、私たちは特段変わったことは一切やっていません。創業当初から続けて来た、昔ながらの製法と、お客さまに買っていただく商品、そして従業員との関係を、頑なに守り続けているだけなのです。ブランドとは、お客さまに対する「約束事」であり、この約束とは「変えない事」であると考えているからです。長く商売をしている中で、製造工程の「効率化」や、より多くの利益を得るための投資のご提案や、経営のアドバイスなどもいただく機会は多々ありましたが、それに賛同し、手を出さないように努めています。
欲を張らず、近道を考えず、形を変えず、当たり前のことを当たり前のように、お客さまへの約束を守ってきました。それが「変わったこと」であるなら、そうなのかも知れません。(笑)
職人でない私の最も重要な役割は、二つあると考えています。
私は、株式会社まるや八丁味噌の代表ですが、味噌造りをする職人ではありません。職人でない私の最も重要な役割は、二つあると考えています。一つ目は「お客さまとの出会いを大切にすること」、そして二つ目は「従業員を大切にすること」です。
<お客さまとの出会いを大切にすること>
職人たちが大変な手間と時間を掛けて造った八丁味噌を、より多くのお客さまや料理人の方に味わっていただくために、さまざまなイベントで工夫を凝らした実演販売や、八丁味噌の新しい楽しみ方を知ってもらうための料理教室などを開催しています。その根底にあるのは、八丁味噌が守り続けている独自の製法と、「こういう風に味わっていただきたい」という、こだわりやストーリーです。実際に味わっていただくと、喜んでくださるだけでなく、お客さまにとっても私たちにとっても新しい発見があるのです。
こういった取組みを国内だけでなく、海外でも展開していることで、普段なかなかお会いする機会のない、一流のシェフや職人さん達と多くの出会いが生まれています。高品質の味噌を造るのは職人さんの仕事。その味噌を「表現」をすることが全社員の役割です。そしてそれに賛同してくださるお客さまが多ければ多いほど、より良い商品を造るサイクルが生まれると考えています。
<従業員を大切にすること>
当たり前ですが、社長は会社のリーダーです。事業が上手くいかなくなった時にこそ、その真価が問われるのではないでしょうか。経営状況が良くない時に、従業員を解雇するのは、自分が生き残るために自分の家族を見捨てることと同じ行為であり、リーダーがやることでは断じてありません。また、「赤字」は経営者として好ましくない状況です。良いモノを造っている会社が結果を出せない。それは経営者の責任なのです。代表に就任して以来、そのことをいつも肝に銘じています。
私がまるや八丁味噌に入った当時、戦争で従軍経験を持つ81歳の従業員から直接聞いた話ですが、その方が従軍している間、まるや八丁味噌はずっと給料を払い続けていたそうです。会社も戦争で大打撃を受けていた状況なのに、「またぜひうちで働いてほしい!」と、復職を薦めてくれたと言います。その話に感動した私は、定年退職になった方でも、仕事ができる体力も、意欲もあるのであれば、ずっといてもらうことにしています。だから、年長者の多くの従業員が頑張ってくれています。
まるや八丁味噌は、従業員とその家族の暮らしを絶対に守る会社であり、そして、毎年わずかでも黒字を出して国に税金を納める会社であり続けたい。この二つの約束は、ずっと守り続けたいと考えています。
これからも「規模」を追求するのではなく、「質」を追求します。
妥協はいくらでもできてしまいます。一度妥協をするとそれがどんどん膨らみ、繰り返してしまいます。大切なのは「実現しようと考えられることをすべてやり切ること」。なぜなら、考えることができた!ということは、それはできる可能性がある事だから!若いメンバーにも、そう鼓舞してやってもらっています。
まさにこれから活躍される若い皆さまには、しっかりと自分の主張をお持ちいただくことです。そして、人に影響を与えることができるように尽力されることだと思います。そのためには、躊躇(ちゅうちょ)せずに、いろんな人との出会いを大切にして、これからの時代を歩んでほしいと思います。
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