更新日:2017年11月13日

Japan Vision Vol.85|地域の未来を支える人 北海道上川郡東神楽町
株式会社 匠工芸
代表取締役 桑原 義彦さん

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北海道のほぼ中央に位置する、日本有数の家具産地「旭川」で、38年間にわたり「木製家具」づくりを手掛けている、株式会社 匠工芸 代表取締役:桑原 義彦(くわばら よしひこ)さんのメッセージをご紹介します。

桑原さんの出身はオホーツク海を臨む紋別(もんべつ)市。畜産農家の三男坊として誕生しました。将来的には実家を離れ、兄弟とは別の道を進まなければならないことを理解していた桑原さんですが、どんなことにでも挑戦する父親の仕事ぶりが刺激的で、中学校時代、実家と関わりのない勉強や仕事に興味を持てなかったそうです。
そんな桑原さんに担任の先生が進路として奨めたのが「職業訓練校」。その中の選考課程にあった「木工」という言葉に得も知れず興味をそそられ、調べていくうちに木工職人としての道を歩む決意をしました。
そして弱冠20歳の時、スペインで行われた国際技能オリンピックで銀賞を獲得、翌年には旭川市新人奨励賞受賞という快挙を成し遂げます。1979年に匠工芸設立後は、旭川家具の振興にも注力し、今では日本全国に多くのファンを持つ一大家具ブランドを築き上げました。

匠工芸さんのコンセプトは、「ナチュラル&クラフト」。
“一歩深いこだわり”を信条として「手の力」を基本に手間を惜しまず、“木の素材感“と“家具のどこかに手が感じられる”家具をつくり続けています。そんな匠のメッセージを、皆さまもぜひご一読ください。

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勉強もしたくない!就職もしたくない!

中学三年の進路相談の時に、私が担任の先生に相談した言葉です。
当たり前のように「お前はバカか!」という回答が返ってきました。勉強にも就職にも興味を持てていなかったのは、最も身近にいる親父の仕事が刺激的だったからだと思います。紋別市にある実家の家業は「農業」でしたが、取引先は農協ではなく、「漁師」の綱元を専門にしていました。当時、農家の卸先はすべて農協だったため、それだけでも珍しかったのですが、親父は興味を持ったことはすぐに実行してしまう気質で、野菜の栽培から始まり乳牛・羊・豚の飼育と、どんどん広がって行きました。
紋別市は海と山しかなく、また冬は厳しい寒さと雪に包まれます。そんな気候条件と、豊富にあった土地を何とか活用しようと、家畜の数は十頭→百頭→数百頭とどんどん増えていきました。農場に足を運ぶ人が増えると、今度は「ジンギスカン屋」も始めるなど、子供ながらに「親父、攻めるな~」と感心していたことを覚えています。そんな親父の仕事に興味を惹かれていた私ですが、三男だったため「お前は高校を出たら別のことをやれ!」と兄たちから言われ、「さて何をしよう」と悩んでいたタイミングでした。
そんな私の将来を担任の先生が考えて、奨めてくれたのが「職業訓練校」です。すぐに働かなくて済み、しかもあまり勉強しなくても入れる学校!まさに私の希望通りの進路でした(笑)。職業訓練校にはいくつかの専攻課程があり、何れかを選択する必要があります。正直こだわりは無かったのですが、「木工」というキーワードを見たときに得体のしれない興味をそそられ、たまたま叔父さんが大工をやっていたこともあり、決心しました。当時の「職業訓練校」が全寮制ということは知っていましたが、入ってみるとそこはまるで自衛隊のような環境でした。起床から就寝まで厳しい規律の中で生活し、体罰なんて当たり前。仲間の中で何か問題が起きると、すべてが連帯責任。たった一年間の学校生活で、社会人としての知識・教養・技術を身に付けさせようというのですから、厳しいのは当たり前かもしれませんが、とにかく濃い1年間を過ごさせてもらいました。
おかげさまで、卒業後は特注家具の製造と販売を手掛け、旭川御三家の一つに数えられていた山際家具に入社することができました。昭和40年(1965年)のことです。

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国際技能オリンピックへの出場・銀賞を獲得。

山際家具に入社後、旭川市で若い木工職人の海外留学を支援する制度ができたことを新聞で知りました。チャンスは数年に一度で、次は3年後。当時、とてつもなく遠くに感じていた「海外」に仕事で行けるかも知れない!チャレンジしたい!と強く思い、仕事と語学の勉強に励みましたが、なんとその3年目に制度自体がなくなってしまったのです。海外に飛び出したい熱い想いをどこにぶつければ良いのか!と、別の機会を探していたところ、夜学で通っていた旭川市が運営する「木工芸指導所」で、年齢制限23歳以下の「国際技能オリンピック」というものがあることを知り、その出場資格である「日本国内の大会で1位になろう!」と誓いました。
強く願えば叶うもので、1回目の挑戦では1位になれませんでしたが、さらに猛勉強し、次の年には1位となり、晴れて日本代表としての出場資格を得ました。スペインで開催された国際大会では、その場で与えられた課題と素材に対して、4日間という制限時間の中で作品を完成させ、その出来栄えを競います。その時の課題は「化粧ボックス」です。完成品はもちろん、設計図から制作工程まで複数の審査員からすべてを細かくチェックされます。とにかく、自分がやってきたことを信じて、集中するしかありません。

4日間の制作期間と審査結果を通して、海外と日本の職人の作り方・道具の使い方の違い、海外から遅れている部分、優っている部分などを知ると同時に、ノコ&ノミなど日本の道具と、技術の素晴らしさも知ることができました。日本から来た私の技術・制作工程・使った道具は大いに注目され、なんと「銀賞」に輝きました。大会終了後いろんな国の出場選手達とコミュニケ―ションを取りましたが、困ったことは、どの国の選手も「俺の道具とお前の道具を交換してくれ!」と、頼んできたことです(笑)。 大会終了後は休暇をもらい、一緒に戦った海外の選手たちと旅をするなど、本当に貴重な経験でした。この経験をより多くの若い職人にも経験してほしいと思い、匠工芸設立後も積極的に参加を促しています。

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旭川の産地力を活かす。

豊富な森林資源があり、昔から家具産業が盛んな旭川市は“家具の五大産地”として有名です。特に大雪山から採れる木材はとても良質で、世界に誇れる素材だと思います。匠工芸の創業が1979年、その時すでに海外製品がどんどんと日本に入って来ていて、五大産地といえども、生き残ることは難しい状況でした。もともと旭川は、タンスや化粧箱など嫁入り道具として重宝されていた「箱もの」が主流で、椅子や机・テーブルなどの「脚もの」はほとんどありませんでしたが、これから日本人の生活習慣や住宅事情もどんどん変わり、必要な家具も多様化していくことは容易に想像することができました。そんな中、今後はさらに旭川の「産地力」で、多様化するニーズに応えていかないと勝てないと判断し、大雪山からとれる良質な木材を活かして、価格的にも品質的にも差別化ができる家具を作って行こうと方針を立てました。

打ち出したコンセプトは、「ナチュラル&クラフト」です。もともと自然素材である「木」の風合いをそのままに、手作り感を残しながら、丈夫さと使いやすさを確保していくことを心掛けました。社内のデザイナーだけでなく、国内・海外の優れたデザイナーと組んで、これを実現しています。彼らが描いたデザインを、職人たちが、「良質な家具」として成立させるように、徹底的に工夫する。そこには、「熱を入れて“曲げる”技術」や、「重ねて丈夫にする技術」などさまざまな技術がありますが、最後は必ず「手」で仕上げることにしています。

匠工芸ではどんなキャリアの持ち主でも、入社すると必ず3年間は「現場=工場」の経験をしてもらいます。設計のプロも、デザインのプロも、現場のことをきちんと理解していないとどこかかみ合わず、絵に描いた餅に終わってしまうことがあるからです。すべての作業工程や現場の雰囲気を理解してもらい、「最後は手で仕上げる」工程もしっかりと経験することで、より家具が好きになり、現場も好きになります。結果として社内に一体感が生まれ、職場の雰囲気も良くなりました。

「現場」を最も大切に考えているから、働きやすい環境にもこだわっています。ご存知の通り、ここ旭川市は冬場には毎日マイナス20℃くらいまで下がりますが、工場で出る木くずを燃やし、その火で沸かしたお湯を床に通して温めているので、冬でも温かいところで仕事ができます。膨大に出てくる木くずを「熱」に活用することで、工場の清掃・整理整頓にも役立っています。昔は職人の腕さえ良ければ、工場は裸電球・木くずだらけでも良しとされていました。しかし、私は清潔な環境でしか良いものは生まれない、また、素材が良くて、デザインが良くて、職人の腕も良くて、作る環境も良い、だからこそ気持ち良く仕事ができて、良い家具が生まれると信じています。

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お客さまのニーズが多様化する現在、若い力が必要です。

若い人がどんどん集まる環境を作らなければいけないと考え、若い社員がデザインしたモノで、会社の製品となり得るものはどんどん取り入れるようにしています。家具の後進国とされていた海外の製品の質も上がり、「安くてそこそこのモノ」になってきています。また、消費者の選択肢は増え、ニーズも多様化していく中で支持してもらうためには、より広い視点で技術の進歩と、品質を向上させる必要があります。それには、若い人たちの柔軟な気持ちが最も重要だと考えています。

今日良かったモノも、数年ですたれることもあります。逆に昨日まで見向きもされなかったモノが、注目されることだってあります。大切なのは流行りに乗ることではなく、感性を磨いて、五感を研ぎ澄ませて、長く愛用してもらえるモノが作れること。そんな職人になってほしいと思います。

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