更新日:2018年02月05日
Japan Vision Vol.95|地域の未来を支える人
石川県加賀市
潜水漁師(海士)・戸井鮮魚代表
戸井 良平さん
豊かな自然とともにゆったりとした時間が流れる石川県加賀市の港町、橋立町で「潜水漁」と「一本釣り漁」をしながら、鮮魚店を営む戸井鮮魚 代表:戸井 良平(とい りょうへい)さんのメッセージをご紹介します。
真鯛やスズキ・カレイといった白身魚、岩牡蠣・サザエ・アワビなどの貝類、甘えび・車エビ・イカ、そしてズワイ蟹やアンコウ・寒ブリなど、四季を通して豊富な海産物が水揚げされる日本海においても、橋立の沖合はとりわけ“恵まれた漁場”であると戸井さんは言います。さまざまな魚種が生息しているだけでなく、地形的にも漁場が港から近いため、常に新鮮な状態で魚をセリにかけることが出来るのだそうです。
ですが、それを狙った“密漁”被害も後を絶たないのだとか。
戸井さんをはじめ、橋立の海を知り尽くした潜水漁師(海士)たちは、海と自然を傷つけない漁のやり方、密漁の撲滅、そして未来に向けた取り組みなどの橋立漁港を守る活動にも注力しています。戸井さんの活力の源は「海が好き。」という、このうえなくシンプルな想いです。漁師としての誇り、そして橋立の海を守り続ける匠のメッセージを、皆さまもぜひご一読ください。
海が良ければ漁に出る!海が時化れば体を鍛える!
これが僕のライフワークです。一年間の流れを大まかに説明すると、潜水漁師(海士)としての漁は4月から始まります。4月15日から5月の下旬くらいまでは「ワカメ漁」。生ワカメを獲って市場に卸したり、水洗いして乾燥ワカメも作ります。わかめが大きくなりすぎて色が抜けてしまう頃になると、今度は「岩もずく漁」が始まります。「岩もずく」は文字通り岩に付いているもずくのことで、ふだんは砂に埋もれて見えない岩が、たまに砂から姿を現した時に育ちます。それがとても美味しく、市場でも高値で売買されます。
そして6月15日から始まるのが「岩牡蠣漁」です。7月からは「さざえ」や「あわび」も始まって、禁漁になる8月20日まで毎日潜ります。8月下旬からは“海から船に上がり”、スズキ・甘鯛・石鯛・ハマチ・太刀魚・カレイなどの白身魚や、イカを狙った「一本釣り漁」が始まり、釣り好きなお客さまと乗り合いで海に出る「遊漁船」も並行してやります。11月初旬になって「ずわい蟹」漁が始まると、今度は陸に上がって「鮮魚店」としての商売が忙しくなる時期です。毎日セリ場に出て、新鮮な旬の蟹や魚をセリ落とし、地元のお得意さまに提供したり、ネットで発注してくれる全国のお客さまに届けます。12月のお歳暮や年始のお祝い事用に購入されるお客さまを中心に、発送業務がピークを迎えると、“陸での仕事”も終わりが見えてきます。すべてのお客さまに発送が終わるとようやく休暇に入って、漁と同じくらい好きな釣りとスキー、それと「トライアスロン」のトレーニングに励む!といった流れです。とにかく体が資本ですから休暇期間中はもちろん、海が時化(しけ)たときなど、時間を見つけては体を鍛えることを習慣にしています。
橋立の海は日本海でも希有な漁場。
海産資源が豊富な日本海の中でも、橋立の海は特に獲れる魚種も豊富で、地形的にも恵まれた稀有な漁場です。それにどの漁場に出ても、半日~1日で港に戻ってこれるので、魚を船の中で寝かせず、いつでも新鮮な状態で市場に卸せます。水深が浅く潜水漁に適した岩場(漁場)は海岸線から近くて、港からも船で10分程度です。海が時化る1~2月を除けば、潜水漁または一本釣り漁がほぼ年間を通してできるため、我々漁師にとっても、お客さまにとってもありがたい漁場です。
だからこそ、「この海を傷付けない漁」を心掛けています。
“海を汚さない”意識はもとより、これから種になるまだ小さな「さざえ」や「アワビ」、「牡蠣」などを漁の対象にしないことや、1日に獲る量の上限を仲間同士で決めているほか、稚貝の放流も定期的に行っています。橋立の漁師たちは、“みんなの漁場”という意識が強く、漁場の未来を意識して、海洋資源の維持・回復に努めているのです。
ですが、そんな我々の努力を踏みにじるような「密漁」が横行しています。先に説明した通り、橋立の海は魚種の豊富な岩場が海岸線から近いところにあるため、密漁の標的にもなりやすいのです。特に水深の浅い岩場には成長段階にある貝が多く生息しているため、未来に与える影響だって大きくなります。我々が漁獲量を自主制限したり、稚貝(ちがい)を放流してもその努力を無にしてしまうような密漁は許すことはできません。仲間と手分けしてパトロールも行い、見つけ次第厳重に注意していますが、それでも完全になくすのは困難です。一度種を獲りきってしまった場所に、また貝が戻ってくるまでには時間がかかります。海と共に生活をし、その海を守ろうとしている人間が居ることをしっかりと理解して欲しいです。
この仕事を選んだのは、とにかく海が好きだから。
僕は加賀市の隣にある小松市の出身で両親の仕事は海関係ではなかったのですが、小さいころから海で遊ぶことがとにかく好きでした。学生時代はダイビングや海関係のアルバイトに明け暮れて、就職先は東京のスポーツクラブを選びました。
30歳の時に「海好き」が抑えられなかったのか、「地元で漁師になろう!」と思い立って、この地域の主幹産業である底引き漁船の船員を志望し、4年くらい船の上で修業を積んだ後に、漁業権や買参権(ばいさんけん)を買い取って、それ以来、今の商売を続けています。こうして振り返ると、流されるままに生きてきたような感じですが、“海が好き”っていうところだけはぶれていないと思います(笑)。
橋立の漁師になるために。
橋立の町で漁師として生きていこう!と考えるなら、まずは主幹産業である「底引き漁」を経験しないとだめです。昔ほど常にたくさんの募集をしている訳ではないですが、入れるチャンスはあります。僕のように海が好きで、県外からも入ってくる人も多いけど、続かなくて辞めてしまう人もまた多いです。
「底引き漁」は夜23時に出航して、翌日の夕方まで漁を続けます。帰港して仮眠を取ってから、また23時には船が出ます。漁の期間中は2日間漁に出て1日休むというサイクルを繰り返すわけですが、休みの日も午前中は漁で使った網をチェックしたり、破れてしまった箇所を縫い直したりと、手を動かすので、実質の休みは半日間だけです。最初の1~2ヶ月間で仕事の流れを覚えて、あとはとにかくたくさん経験して、徐々に体で覚えていく。早い人で1年。だいたい2年くらい経つと、漁師の体になれます。こんな感じだから、ただの「海好き」ではなくて、「海が大好き」じゃないとまず務まりません。それに船の上での仕事に慣れるまでは必要以上に体力も使いますから、健康とそれなりの体力も必要です。
漁師の仕事を「仕事」として捉えて、こんな話を聞くと引いてしまうかも知れないですが、逆に言えば、好きなことをそこまでやらせてくれる仕事って、今はなかなかないのではないでしょうか。それに獲れてなんぼの世界ですから、獲れた分だけ給料に跳ね返ってきますし、まさに「自分の体で稼いでいる」っていう達成感は他の仕事では味わえません。
僕がやっている「潜水漁」と「一本釣り漁」にしても、とにかく目で見て体で覚えることが大事です。特に今は漁をする機械も発達しているので、やる気と続ける根性さえあれば、絶対に誰でもモノになります。「漁師になりたい!」っていう若い人は、頭でたくさんのことを考えるよりも、むしろ「海が好き」という純粋な感覚に従って、楽しむことを大切にして欲しいと思います。最近、そんな若い人も増えて来て、みんな根性があって頼もしいです。東京都出身の若い人が船頭をやっている船もありますよ。
漁師の仕事も海産資源の減少などにより、「潜水業」については今後、先細っていくだろうと予想しています。だからこそ、海に関わるさまざまなことに挑戦していくことが必要です。「一本釣り漁」と並行した「遊漁船」で、より多くのお客さんに「海」を楽しんでもらうことや、鮮魚店としての工夫や横展開など、選択肢はたくさんあります。「不安からの発想」ではなく、「海が好きだからこそ考えられる発想」を大切にして、一生この仕事を続けていきたいです。
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