更新日:2018年03月05日

Japan Vision Vol.98|地域の未来を支える人 富山県富山市
八尾和紙 桂樹舎 代表取締役
吉田 泰樹さん

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第98回目となる今日は、富山市八尾町で昭和35年(1960年)の創業以来、富山市の伝統工芸「八尾和紙」を作り続けている、桂樹舎 代表取締役:吉田 泰樹(よしだ やすき)さんのメッセージをご紹介します。
桂樹舎さんでは、昔からの伝統製法による八尾和紙作りを続けながら、独自に開発した「強製紙」という丈夫な和紙に、型染(かたぞめ)技法を用いた民芸品・工芸品の製造・販売なども行っています。印刷では決して出せない温かみのある風合いや、八尾和紙ならではのやさしい手触りを生活の身近なものに取り入れて、楽しんでいただきたいという想いから、紙漉き(すき)・染め・加工まですべて職人による手仕事で行っています。
八尾和紙を「和紙・紙」としての用途だけではなく、現在の生活様式に合うさまざまなものに活用し、未来へと残す匠のメッセージを皆さまもぜひご一読ください。

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「八尾和紙」は雪解け水から漉く、良質で丈夫な和紙。

一般的に和紙と聞くと、“やぶれやすい”印象をお持ちの方が多いと思いますが、八尾和紙は昔から、“字を書くための紙”としてではなく、“加工する紙”として作られ、富山の薬売りが使用するカバンなどにも利用されるほど丈夫です。桂樹舎では、雪解け水から良質の和紙を漉く、昔ながらの八尾和紙の製法をかたくなに守りながら、八尾和紙の丈夫さと独自に開発した強製紙、さらに型染め技法を利用したさまざまな加工品を作っています。
型染めの仕上がりは、印刷では出せない温かい独特の風合いを生み出し、使い込むほどにやわらかく、艶も出てきます。温かみのあるオリジナルの柄と色合い、優しい手触りでたくさんのお客さまにご好評をいただいています。

八尾の地で和紙作りが盛んになった背景は、室町時代まで遡ります。目の前を流れる井田川(いだがわ)の上流、「野積(のずみ)」という場所が国の直轄領になっていて、そこで和紙を作り、年貢として国に納めていました。また江戸時代になると、越中富山藩の第2代藩主である前田 正甫(まえだ まさとし)が江戸城で使う染料や、顔料・丸薬を作りはじめ、とりわけ丸薬の評判がよくなり、丸薬を包む紙としても和紙を使い始めました。丸薬の普及と共に、八尾和紙も広まっていったのです。
そこから「和紙作り」をする家がどんどん増え、当時は何百軒にもなったといわれ、和紙だけでなく蚕(かいこ)の種も全国に売ることで、八尾の町は大いに栄えました。しかし明治時代に入り工業化が進むと、蚕作りをする家は減り、さらに産業革命が起きて、日本にも紙を機械で作る技術が入ってきたことで、和紙の需要も徐々に減少していきました。
桂樹舎の創業は昭和35年(1960年)、私が東京の大学を卒業後、染紙の修業を終えて八尾に帰ってきたのが昭和55年(1980年)ですが、その5年後には、和紙の原料を作る共同作業所も取り壊されてしまいました。その段階で和紙作りをする家は桂樹舎を含めて3軒ほどでしたが、時代が平成に入ると、とうとう桂樹舎だけになってしまいました。

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和紙の素晴らしさを、後世に残す。

桂樹舎の和紙製造工房は創業当初から変わっていませんが、現在“紙の工芸館「和紙文庫」”として使用しているこの建物は昭和60年(1985年)に、当時廃校にたっていた分校を町から譲り受け移築しました。父が「これからの人たちにも、和紙がどんなものかを知ってもらえるような施設を作ろう!」と、土地と建物を手に入れ、あえて今風の様相ではなく、昔ながらの雰囲気を残す今の形になりました。その姿勢が市にも認められて、移築費用のみで土地を譲りうけることができたのです。
「和紙文庫」では、紀元前からの紙の発展過程を紹介するとともに、和紙に繋がる文献や日本の古写経、江戸期以降に発達した和紙を材料とした加工品の生活必需品などを数多く展示しており、和紙・和紙製品の売店や喫茶店も併設しています。さらに隣接する工房では、和紙が出来上がるまでの工程を見学することもできる他、紙漉き体験もできます。
時代と共に、和紙作りを営む家が減っていく中で、逆に「八尾和紙を後世に残そう!」という想いが強くなり、現在にいたります。

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桂樹舎独自の「強製紙」と「型染め」の技法。

桂樹舎が独自に開発した強製紙や、型染めの技法は父が形にしたものです。「強製紙」は、固まる前の「こんにゃく糊」を紙に塗り、染みこませて、乾かしたものです。古くから東北の仙台に伝わっていた紙を丈夫にするための技術を和紙に取り入れ、通常の和紙に比べて数倍もの丈夫さを持たせました。
また、父は子どものころから民芸品や工芸品の愛好家で、その道の巨匠といわれる先生たちと交流を持っていました。柳宗悦(やなぎむねよし)先生や、型染めの人間国宝である芹沢銈介(せりざわけいすけ)先生に使っていただいた和紙はほぼ「八尾和紙」です。先生の工房が忙しくなり、父に「八尾でも型染めの仕事をしてみないか?」とお話があり、その技法を習いお手伝いするようになりました。その後、自分なりの形を考え、染めの技術を発展させて、八尾和紙を使った名刺入れやブックカバーなど、さまざまな加工品・工芸品を作り始めました。

私はそんな父の背中をみながら、常に和紙が身近にある環境で育ちましたので、それをさらに発展させて、広めていく義務があると考えています。別ジャンルのデザイナーさんや、プロダクトデザイナーさんともコラボレーションして、これまでにない「意外なもの」に和紙が使われ、また「意外な色」で作っています。和紙でしか出せない手触りや風合いなどと相まって、その魅力が多くの方に見直されています。和紙にどこか懐かしさを感じてくださる年輩の方だけでなく、若い方、海外の方など、ファンの層も広がりをみせています。


和紙作りは、全て手作業だから量を求められないし、地味な仕事にみえるかもしれません。
ですが、「素材」としての和紙の魅力・可能性は無限です。
数百年にわたり、守られてきた「八尾和紙」作りの根本は変えることなく、今後も新しいことに挑戦していきます!

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