更新日:2018年10月22日

Japan Vision Vol.127|地域の未来を支える人 鹿児島県曽於市
焼酎用木樽蒸留器 職人
津留 安郎さん

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本格焼酎造りに欠かせない『木樽蒸留器』を作る職人:津留 安郎(つどめ やすろう)さんのメッセージをご紹介します♪
津留さんが作る『木樽蒸留器』には、設計図というものがなく、また1本の釘も使用されません。樹齢80年以上の杉の木と、竹製の箍(たが)だけを原料に、全て手作業による職人技で一つ一つ丁寧に仕上げて行きます。重さ1トンもの「もろみ」と100度の熱にもビクともしないという大型の『木樽蒸留器』を作れる職人は、現在日本で津留さんただ一人なのだとか。

この『木樽蒸留器』で蒸留した焼酎は、口当たりがとてもやわらかく、またほのかに木の香りが感じとれる独特の仕上がりになるといいます。焼酎がお好きな方は、ご存知ではないでしょうか。

津留さんが師事した、父:辰矢さんは、「現代の名工」そして「黄綬褒章」を受章するほどの職人さんでしたが、2014年にこの世を去りました。そんな父への尊敬と感謝の気持ちを忘れることなく、伝統の技を未来へと繋ぐ匠のメッセージを、皆さまもぜひご覧ください。

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設計図もなく、釘も使わない『木樽蒸留器』

設計図もなく、釘も使わない『木樽蒸留器』
鹿児島県、宮崎県内には合わせて200軒近くの焼酎蔵がありますが、その中で『木樽蒸留器』を使っている蔵は10~12軒ほどです。ステンレス製蒸留器との一番の違いは、やはり焼酎の仕上がりではないでしょうか。焼酎蔵の方に聞いても皆さん一様に、「木樽の蒸留機でしか出せない、口当たりのやわらかさ、まろやかさがある」と言ってくださいます。私も昔から焼酎が好きですが、お芋や麦、お米といった原料の香りや味わいが優しく出ているように感じます。蒸留器から“垂れた”ばかりの原酒の状態で美味しく感じられるのも、木樽ならではの特長かも知れません。

『木樽蒸留器』には、設計図というものがありません。また一本の釘も、一滴の接着剤も使わず、全て手作業で仕上げて行きます。原料に使うのは、樹齢80年以上の「杉の木」と、樽の箍(たが)に使う竹のみです。なぜ樹齢80年以上でないといけないかというと、若い木は年輪が詰まっていない、つまり伸縮が激しくなって、変形してしまうからです。また日当たりの良いところで育った木は、成長が早く目が粗くなってしまう特徴があります。目が細かく、節目の少ない杉の木を選ぶことが重要です。

作り方を簡単に説明すると、
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1:底板作り
2:樽の胴板作り
3:箍(たが)作り
4:組み立て
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「底板作り」は、4枚くらいの板を「串木」で隙間なく合わせて円型に仕上げます。底板の直径は135センチメートル(もろみ1トンタイプ)が標準で、最大で145センチメートル(もろみ1.5トンタイプ)。「樽の胴板作り」は、最も緻密さを要する作業です。31枚~33枚程度で底板を一周するように角度を付けて杉の板を切ります。さらに、木樽は真ん中が厚い構造になっているため、それに合わせて真ん中と端とで幅を変えて、最終的にすべての板がピッタリ合うように慎重に削ります。木樽の周囲を締める箍(たが)に使用する竹は、8月~1月と切れる時期が決まっています。2月を過ぎてしまうと、竹に虫が付いてしまうからです。貯蔵しておいた竹を1本1本しっかりと編んでおきます。
こうして、各パーツの“仕込み”が完了した後に「組み立て」作業に入ります。底板にぴったりと胴板を合わせて、箍で固定していくのですが、樽は真ん中が厚い構造になっているため、蓋の近くの板は箍で締め付けて無理やり丸めていく必要があります。箍の内側に楔(くさび)を入れ、それを木槌で叩き落としながら、ゆっくりゆっくりと丸めて、最終的にぴったり合わせていくわけです。
この木を丸める作業を急いでやりすぎると、まっすぐの状態に戻ろうとする木の力に負けて、楔を打つ箍が切れ、“爆発”してしまうことがあります。親父に師事している時に、一度だけその“爆発”が起きましたが、それはものすごい力で、当たれば大怪我に繋がったことでしょう。木槌で楔を少しずつ落とす作業を続けて、しっかりと補強します。あとは木樽に蓋をすれば完成です。
一台の『木樽蒸留器』を作るのに必要な期間は2ヶ月間程度。湿気が多く、木が膨らんでしまう梅雨から夏は避けて作るため、生産台数は一年にわずか3~4台程度ですが、完成した『木樽蒸留器』は、100℃もの高温になる重さ1トンものもろみにもビクともしません。焼酎蔵に納品する際には必ず同行して、配管に合わせて加工します。

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津留さんで三代目。先代の時代には廃業の危機も。

うちで『木樽蒸留器』を作り始めたのは祖父の時代からなので、親父が二代目、私で三代目です。祖父の時代には、お風呂桶や漬物樽など、どの家でも「桶」が使われていて、祖父は「桶屋」をやりながら焼酎用の『木樽蒸留器』を作っていました。時代とともに「桶」が使われなくなると、親父の代からは農業を兼務、母親は食品とお酒も扱う商店(津留商店)を始めるようになり、やがて『木樽蒸留器』を使う焼酎蔵も少なくなってきて、いつしか蒸留器を作る機会は無くなってしまいました。

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『木樽蒸留器』作りを再開したのは、ある焼酎職人の情熱

鹿児島県に「現代の名工」そして「黄綬褒章」を受賞した、焼酎造りの匠がいて、その方が、焼酎の新しい銘柄を造ろうとした際に、「求める酒質を出すためには、“木樽蒸留器”が必要」と考え、『木樽蒸留器』を作れる職人を探しまわったことが、再開のきっかけです。色んな方から情報収集をして、親父の名前(津留 辰矢)を探し当て、ある日突然、直接依頼しに来られたそうです。
その時、親父は「25年以上も作っていない、また設計図もない『木樽蒸留器』を、お客さまのご期待に見合う品質で作ることが出来るのか?」と悩みましたが、「自分が作る木樽蒸留器を、そこまで求めていただけるなら!」と決意し、再び作り始めることにしました。祖父から習った作り方、自分の体で覚えていた手順を頼りに何とか納品まで漕ぎつけると、それが何かのきっかけになったのか?複数の蔵から依頼が来るようになって、『木樽蒸留器』が再び重宝され始めたのです。
会社員を辞めて、家業を継ごうとする私に親父は、「この状況はいつまでも続かん。この仕事は俺の代で終わり。社会人を続けてしっかりお金を稼いで、厚生年金を納めた方がお前のためになる」と言い、また「この道で一人前になるまでには、最低でも10年はかかる。それまでに俺が元気で居られて、お前を一人前にする自信はない」と続けました。

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盗人が家のものを全部持っていっても“腕”だけは盗めん

若いころに聞いた親父のこの言葉が私の頭から離れず、また親父の作る『木樽蒸留器』を、焼酎蔵の方が本当に重宝してくれている様子を目の当たりにして、「この技術は残さなければならない!」と、けっきょく私は親父の反対を押し切って会社を辞め、跡を継ぐ決意をしました。今から9年程前のことです。
体力も落ちていた親父は何も言いませんでしたが、「見て覚えさせる」「やって覚えさせる」「失敗して覚えさせる」という、親父なりの教育方法で、私に一所懸命『木樽蒸留器』の作り方を教えてくれました。親父からの具体的なアドバイスなどほとんど覚えていませんが、たくさんの無駄を出しながらもそれを許し、「最後まで自分で責任持ってやり抜いてみろ!」と言ってくれたことが、何より有難かったです。
自分が親父に師事して4年余りが経った頃、2014年に親父は他界しました。正直まだまだ教えて欲しいことはたくさんありましたが、「失敗しても、最後までやり抜け!」という、親父の強さと優しさ、そして最後は自分が責任を取る!という“覚悟”のおかげで何とか続けることが出来ています。

幼少の頃からいつも間違いの無いことを教えてくれた親父ですが、いま想うと親父の言葉通りにならなかったことが一つだけありました。それは親父が『木樽蒸留器』作りを再開したあとに、『木樽蒸留器』の依頼が増えて、それが今でも続いていることです。これからも自らの経験を大切に育ててくれた親父の教え通り、本格焼酎造りに欠かせない『木樽蒸留器』を作り続けて行きます!

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